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TORENDIA

梵雲庵漫録

本文約3,400字 ・ 読了時間 約7分

あらすじ(AIが作成しました)

江戸末期から明治初年の上野や両国で見られた多種多様な物売りや見世物、夜店の様子を淡島寒月が綴る。各地の行事や風習、特に印地打の由来や五月人形の逸話から江戸の気風を考察し、現代とは異なる当時の人々の暮らしや娯楽の風景を回想する。さらに、節句の菓子である柏餅の起源や伝播についても独自の視点から論じ、失われゆく江戸情緒を懐かしむ随筆である。

淡島寒月

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🎧 梵雲庵漫録 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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幼い頃の朧ろげな記憶の糸を辿って行くと、江戸の末期から明治の初年へかけて、物売や見世物の中には随分面白い異ったものがあった。私はそれらを順序なく話して見ようと思う。

一

まず第一に挙げたいのは、花見時の上野に好く見掛けたホニホロである。これは唐人の姿をした男が、腰に張子で作った馬の首だけを括り付け、それに跨ったような格好で鞭で尻を叩く真似をしながら、彼方此方と駆け廻る。それを少し離れた処で柄の付いた八角形の眼鏡の、凸レンズが七個に区画されたので覗くと、七人のそうした姿の男が縦横に馳せ廻るように見えて、子供心にもちょっと恐ろしいような感じがしたのを覚えている。

その頃の上野には御承知の黒門があって、そこから内へは一切物売を厳禁していたから、元の雁鍋の辺から、どんどんと称していた三枚橋まで、物売がずっと店を出していたものだったが、その中で残っているのは菜の花の上に作り物の蝶々を飛ばせるようにした蝶々売りと、一寸か二寸四方位な小さな凧へ、すが糸で糸目を長く付けた凧売りとだけだ。この凧はもと、木挽町の家主で兵三郎という男が拵らえ出したもので、そんな小さいものだけに、骨も竹も折れやすいところから、紙で巻くようにしていわゆる巻骨ということも、その男が工夫した事だという。

物売りではないが、紅勘というのはかなり有名なものだった。浅黄の石持で柿色の袖なしに裁布をはいて、腰に七輪のアミを提げて、それを叩いたり三味線を引いたりして、種々な音色を聞かせたが、これは芝居や所作事にまで取り入れられたほど名高いものである。

二

それから両国の広小路辺にも随分物売りがいたものだった。中で一番記憶に残っているのは細工飴の店で、大きな瓢箪や橋弁慶なぞを飴でこしらえて、買いに来たものは籤を引かせて、当ったものにそれを遣るというので、私などもよく買いに行ったものだが、いつも詰らない飴細工ばかり引き当てて、欲しいと思う橋弁慶なぞは、何時も取ったことがなく落胆したものだった。

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