筆
本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
北平の古びた店で手に入れた乾隆時代の小さな羊毫筆をめぐる随筆。著者は将来の書道への期待を込めてこの筆を大切に保管していた。戦争による疎開を経て終戦を迎え、体調不良や混乱した時勢に翻弄されながらも筆を持ち歩き続けた。帰京後、疎開先の荷物を整理する中で再会した筆は、虫食いにより羊毛が失われ、まる坊主の姿と化していた。年月を経て変化した時勢と、筆に起きた予期せぬ変容を綴る。
💰 この本を応援する(投げ銭)
『書』のことになると、中華の人々は昔から偉い。シンの王右軍一人の存在だって、もはや沢山だといふ気持がするのに、ぞくぞくとその後に偉い人が出て居る。しかし私は書のことは分からずにしまつた。蘭亭序だつて、右軍がどの程度に偉いのか、つひに分からずにしまつた。そこで、私は書のことなどは論じられない。
私はある年、中国の北平に遊び、ルリシヤンといふ所を散歩した。そこには、賀蓮青だとか、戴月軒だとかいふ筆匠があつて、日本人の旅人がよく土産に筆を買つたものだ。いはゆる日本人向きの筆匠で、いくらか和臭を帯びたものだつたやうである。
しかるに私はある日そこの路地の古ぼけた店で、一本の小さい羊毫筆を手に入れた。それを商つて居る翁は、ケンリユウの世の物だと云つた。
ヨウロツパを旅した人は、スイスのチユリヒあたりの時計店に貼紙があり、日本語で、『日本の皆様には割引します』と書いたのが見あたつたものである。その時計に和臭があつたかどうか不明であるが、ルリシヤンの筆匠のは、幾分和臭があつたやうである。
私の買つた、古ぼけた、小さい羊毫は、その時和臭が無いやうな気がしたので、それを日本へ持つて帰つた。
北平に行つたのは、私の四十代の時であるから、六十ぐらゐになつて、閑にでもなつたら、『書』でももてあそんで見ようか。書道複製の安物でも買つて、ながめて居ることにしようか。その時にケンリユウ小筆が役に立つだらう。さうおもふと、何だか楽しみである。
しかるに、私に閑が来ず、光陰矢のごとくにして、私は五十になり、六十になり、戦争になつた。中国の文章にも、佳山幽水のやうな間にあつて字を書くといふことがある。戦争がはじまつて、今後どうなるか分からぬといふときに、書のことをいぢくつて居られるわけは無い。
戦が劇甚となり、空襲が恐ろしくなつて来たときに、私は地方へ逃げて行つた。そのときのあわただしい荷物の中に、くだんの小筆も入つてゐて、私はナフタリンなどを入れて居た筈であつた。