本文へ移動
TORENDIA

新年雑俎

本文約3,000字 ・ 読了時間 約7分

あらすじ(AIが作成しました)

正月元旦の年賀の風習を廃した著者が、かつての経験を交えながら正月にまつわる記憶や雑煮の思い出を綴る。凍てつく応接間での滞在や、衛生面で気掛かりな屠蘇、無理強いされる食文化に戸惑った少年時代の苦い記憶を振り返る。家々で受け継がれる雑煮の味に郷愁や文化の変異を感じつつ、次第に廃れていく正月の古き習慣や儀式的な供物の意味について考察を巡らせ、変わりゆく時代の情景に一抹の寂しさを滲ませる。

寺田寅彦

速度
🎧 新年雑俎 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 4

数年前までは正月元旦か二日に、近い親類だけは年賀に廻ることにしていた。そうして出たついでに近所合壁の家だけは玄関まで侵入して名刺受けにこっそり名刺を入れておいてから一遍奥の方を向いて御辞儀をすることにしていたのであるが、いつか元旦か二日かが大変に寒くて、おしまいには雪になったことがあって、その時に風邪を引いて持病の胃に障害を起したような機会から、とうとう思い切って年賀廻りを廃してしまった。すると、その翌年は正月がたいそう暖かくて廻礼廃止理由の成立が少々怪しくなったようであった。

年賀に行くと大抵応接間か客座敷に通されるのであるが、そうした部屋は先客がない限り全く火の気がなくて永いこと冷却されていた歴史をもった部屋である。這入って見廻しただけで既に胴ぶるいの出そうな冷たさをもった部屋である。置時計、銅像、懸物、活花、ことごとくが寒々として見えるから妙である。

瓦斯ストーヴでもあると助かるが、さもなくて、大分しばらく待たされてから、やっと大きな火鉢の真中に小さな火種を入れて持参されたのでは、火のおこるまでに骨の髄まで凍ってしまいそうな気がする。またストーヴがあるにはあっても、その部屋の容量を考慮に入れないで瓦斯消費量のみを考慮に入[#「入」は底本では「人」]れたようなストーヴだと効果はやはり同様である。そういう寒い部屋で相対坐している主人に百パーセントの好意を感じようとするのは並々ならぬ意志の力を必要とするようである。

多くの家では玄関は家の日裏にあり北極にあたる。昼頃近くになっても霜柱の消えないような玄関の前に立って呼鈴を鳴らしてもなかなかすぐには反応がなくて立往生をしていると、凜冽たる朔風は門内の凍てた鋪石の面を吹いて安物の外套を穿つのである。やっと通されると応接間というのがまた大概きまって家中で一番日当りの悪い一番寒い部屋になっているようである。

寺田寅彦の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本