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TORENDIA

海神に祈る

本文約12,300字 ・ 読了時間 約25分

あらすじ(AIが作成しました)

土佐藩の普請奉行・一木権兵衛は、室津港の新設工事を任される。しかし、港の入り口にある釜礁が硬く、難工事に苦しんでいた。人足の間には竜王の祟りを恐れる声が広まり、権兵衛自身も体の不調に見舞われる。工事の成就と自身の信念を貫くため、権兵衛は神仏への誓いを立てる。過酷な環境と重圧の中で責任を果たそうと奔走する一人の技術者の姿を描く。

田中貢太郎

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一

普請奉行の一木権兵衛は、一人の下僚を伴れて普請場を見まわっていた。それは室津港の開鑿工事場であった。海岸線が欠けたの形をした土佐の東南端、俗にお鼻の名で呼ばれている室戸岬から半里の西の室戸に、古い港があって、寛文年間、土佐の経世家として知られている野中兼山が開修したが、港が小さくて漁船以外に出入することができないので、藩では延宝五年になって、其の東隣の室津へ新しく港を開設することになり、権兵衛を挙げて普請奉行にしたのであった。

野中兼山の開修した室戸港と云うのは、土佐日記に、「十二日、雨ふらず(略)奈良志津より室戸につきぬ」と在る処で、紀貫之が十日あまりも舟がかりした港であるが、後にそれが室戸港の名で呼ばれ、今では津呂港の名で呼ばれている。兼山が其の室戸港を開修した時には、権兵衛は兼山の部下として兼山に代って其の工事監督をしていた。此の権兵衛は、土佐郡布師田の生れで、もと兼山の小姓であったが、兼山が藩のために各地に土木事業を興して、不毛の地を開墾したり疏水を通じたりする時には、いつも其の傍にいたので、しぜんと其の技術を習得したものであった。

権兵衛は新港開設の命を請けると、まず浮津川の川尻から海中に向けて堰堤を築き、港の口に当る処には、木材を立て沙俵を沈めて、防波工事を施すとともに、内部を掘鑿して、東西二十七間南北四十二間、満潮時に一丈前後の水深が得られるように計画して、いよいよ工事に着手したところで、沙の細かな海岸へ強いて開設する港のことであるから、思うように工事がはかどらなかった。

権兵衛は東側の堰堤を伝って突端の方へ往こうとしていた。その時五十二になる権兵衛の面長なきりっとした顔は、南の国の強い陽の光と潮風のために渋紙色に焦げて、胡麻塩になった髪も擦り切れて寡くなり、打裂羽織に義経袴、それで大小をさしていなかったら、土地の漁師と見さかいのつかないような容貌になっていた。

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