花をうめる
本文約3,500字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
常夜燈の下で遊ぶ子どもたちが、花を穴に埋めて硝子で蓋をし、隠された宝物として愛でる様子を描く。語り手は、仲間である少女ツルが隠した花を一人で探し続け、その存在を心の支えにしていた。しかし、林太郎から実際には何も埋められていなかった事実を告げられ、幻滅を味わう。本作は、幼い日の純粋な空想と、その後に訪れる現実との対比を通じ、少年の繊細な心象風景と成長に伴う喪失感を綴る。
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その遊びにどんな名がついているのか知らない。まだそんな遊びをいまの子どもたちがはたしてするのか、町を歩くとき私は注意してみるがこれまでみたためしがない。あのころつまり私たちがその遊びをしていた当時でさえ、他の子どもたちはそういう遊びを知っていたかどうかもあやしい。いちおう私と同年輩の人にたずねてみたいと思う。
なんだか私たちのあいだにだけあり、後にも先にもないもののような気がする。そう思うことは楽しい。してみると私たちのなかまのたれかが創案したのだが、いったいたれだろう、あんなあわれ深い遊戯をつくり出したのは。
その遊びというのは、ふたりいればできる。ひとりがかくれんぼのおにのように眼をつむって待っている。そのあいだに他のひとりが道ばたや畑にさいているさまざまな花をむしってくる。そして地べたに茶飲茶碗ほどの――いやもっと小さい、さかずきほどの穴をほりその中にとってきた花をいい按配に入れる。それから穴に硝子の破片でふたをし、上に砂をかむせ地面の他の部分とすこしもかわらないようにみせかける。
「ようしか」とおにが催促する、「もうようし」と合図する。するとおにが眼をあけてきてそのあたりをきょろきょろとさがしまわり、ここぞと思うところを指先でなでて、花のかくされた穴をみつけるのである。それだけのことである。
だがその遊びに私たちが持った興味は他の遊びとはちがう。おににかくしおおせて、おにを負かしてしまうということや、おにの方では、早くみつけて早くおにをやめるということなどにはたいして興味はなかった。もっぱら興味の中心はかくされた土中の一握の花の美しさにつながっていた。