TRENDIA CLASSIC
死人の手
田中貢太郎
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此の話は、私が少年の時、隣家の老人から聞いた話であります。其の老人は、壮い時師匠について棒術を稽古しておりましたので、夏の夜など私に教えてくれると云って、渋染にした麻の帷子の両肌を脱いで、型を見せてくれました。ちっぽけな私は、老人の云うなりに、長い太い樫の棒を持って前へ出て、かちかちと老人の棒に当てました。棒は敵の頭と股間を狙って打ち込むのであります。
「もっと、力を入れて、もっと、力を入れて」
と、老人は云いました。私が顔を真紅にして、一生懸命に打ち込んでまいりますと、
「そう、そう、そうだ」
と、云って老人は褒めてくれました。そんな老人でありますから、旅行するには竹の中へ末込銃のすやを仕込んだ杖などを持って往きました。其の老人が某日物置の庭で、繩を綯いながら話してくれた話は、老人が己で知っている話か、それとも何か書物にでもあった話か其処は私には判りません。
路は谷に沿うておりました。其の路を一人の旅人は、上へ上へと登りながら前の方を見ますと、円い膨らみのある山が重なっておりました。もう夕方で、微紅い陽が渓のむこう側に落ちかけておりました。山には秋が来て、路ばたの櫟や栃などの樹は、黄ろく色づいていて、風もないのにばらばらと降りかかりました。栗の毬彙がはじけて、樺色の実が路の上に落ちている処もありました。これが浅い山であったら、拾ってみる気にもなるでありましょうが、深い山の中で、それでさきを急ぐ旅でありますから、そんな物に眼をつける余裕はありません。どうかして、早く其の山を越して、むこうの村に着きたいと云う考えで、心が一ぱいになっておりました。
旅人は疲れた足を休めずに、登り続けました。何時の間にか足もとで鳴っていた渓川の水の音が聞えなくなって、渓は遙の下の方になってしまいました。
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