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TORENDIA

肝臓先生

本文約22,800字 ・ 読了時間 約46分

あらすじ(AIが作成しました)

戦後の伊東温泉を訪れた語り手は、医師・赤城風雨の記念碑となる巨大な肝臓の石像を目にする。風雨は流行性肝臓炎の脅威に立ち向かい、どんな過酷な往診も厭わず奔走し、地域住民から「肝臓先生」と慕われる。その騎士のごとき生き様と信念、そして彼が歩んだ仁術の軌跡を描き、町の人々と共に病と闘った一人の医師の姿を後世に伝えるための碑銘として、語り手は壮烈な詩を捧げる。

坂口安吾

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終戦後二年目の八月十五日のことであるが、伊豆の伊東温泉に三浦按針祭というものが行われて、当日に限って伊東市は一切の禁令を解除し、旅館や飲食店はお酒をジャン/\のませてもよいし、スシでもドンブリでも何を売ってもよろしい、という地区司令官の布告がでたという。

戦争以来伊東へ疎開している彫刻家のQから速達がきて、右のような次第で、当温泉は全市をあげて当日を手グスネひいて待ちかまえて、すでに今から活気横溢しているほどだから、当日の壮観が思いやられるではないか。ぜひ来遊したまえ、という招待であった。

終戦二年目の八月といえば、日本カイビャク以来これほど意気消沈していたことは例がない。と云うのは、その年の七月に、料理飲食店禁止令というものがでゝ、一切の飲みもの食べものの営業がバッタリと杜絶した。禁令というものは、かならず抜け道が現れて、裏口繁昌、表口よりもワリがよくて禁令大歓迎というのが乱世の常道だ。アル・カポネや蜂須賀小六大成功の巻となる。これが今日では常識であるが、はじめて禁令をくらった歴史的瞬間というものは、全然の初心者であるから、アレヨ、アレヨと云って途方にくれ、未来のアル・カポネたちも店をたたんで腕を組み天を仰いでいるばかり。真夏の太陽はいたずらにカンカンてりかがやき、津々浦々ゲキとして物音もない寂しい日本となってしまった。

この時に当って、たった一日でも禁令を解除するというから、きいただけで心ウキウキしてしもう。

私が大いなる感動をもって招待に応じたのは、云うまでもないところで、ところが私をむかえた友人は浮かぬ顔。

「アレはデマでね。話がうますぎると思ったよ。こんなことがあればいゝと、みんな同じ夢を見ているんだろうな。誰か一人がヤケッパチに思いつきを言ったのが、全市を風靡したものらしいよ」

温泉町で、酒ものませない、御飯もたべさせない、となると、万事温泉客に依存している町柄であるから、全市死相を呈するのは仕方がない。

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