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TORENDIA

勉強記

本文約17,900字 ・ 読了時間 約36分

あらすじ(AIが作成しました)

大震災から三年、近代の幕開けと共に、栗栖按吉は涅槃大学の印度哲学科に入学する。常に思索的な表情を浮かべる按吉は、素性の正しい同級生らに混じり、周囲に奇妙な印象を与えながらも学業生活を送る。やがて、寺院の伝統に馴染めず割り切れない思いを抱く中、回教徒の聖地巡礼に惹かれるが、街で出会った美しい女学生に心を奪われ、真の自分と向き合う。仏教を学びながらも、悟りを捨て、迷い続けることの尊さを知る若者の彷徨を描く。

坂口安吾

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大震災から三年過ぎた年の話である。昨今隆盛を極めているアパートメントの走りがそろそろ現れた頃で、又青年子女が「資本論」という魔法使いの本に憑かれだした頃でもあった。生活の形式にも内容にも大きな転換期が訪れようとしていた。「近代」が、また「今日」が、始まろうとしていたのである。

涅槃大学校という誰でも無試験で入学できる学校の印度哲学科というところへ、栗栖按吉という極度に漠然たる構えの生徒が、恰も忍び込む煙のような朦朧さで這入ってきた。強度の近眼鏡をかけて、落着き払った顔付をしているから、何かしら考えている顔付に見えたが、総体に、このような「常に考えている」顔付ほど、この節はやらないものはない。当節の悧巧な人は、こういう顔付をしないのである。尾籠な話で恐縮だが、人間が例の最も小さな部屋――豊臣秀吉でもあの部屋だけはそう大きくは拡げなかったということだ――で、何かしら魔法的な力によってどうしても冥想に沈まなければならないような驚くべき心理状態に襲われてしまうあの空々漠々たる時間のあいだ、流石に悧巧な人間も万策つきてこんな顔付になることがあるという話であるが、あの部屋に限って二人の人が同時に存在することが決してないという仕組みになっているものだから、まったくの話が、あんな勿体ぶった顔付を臆面もなく人前へ暴すのは不名誉至極な話である。だから当今「常に考えている」顔付をあくまで見たいという人は、精神病院へ行くよりほかに仕方がない。あすこの鉄格子のあちら側には即ち必要以上に考え深い人達が、その考え深いという性質や容貌を認められて、幸福な保護を受けているわけなのである。

然し、たまたま時世が時世であったから、人々は栗栖按吉の考え深い顔付を見ると、さては、という必要以上に大きな空気をごくりと呑んで、つまりこういう顔付が刑務所の鉄格子のあちら側にある顔だと思いこんでしまうのだった。即ち、これが「主義者づら」だと思ったのである。

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