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TORENDIA

現代とは?

本文約2,100字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

実質を失い権威化された伝統や流行を盲信する現代人の姿勢を問い、生活そのものの切実さを論じる。ジャーナリストや批評家らが抱く根拠なき現代文学への批判や、歴史的な枠組みでしか現実を評価できない姿勢を糾弾する。芸術の本質は生活の中にこそあり、過去の遺物を礼賛する者たちを骨董的な老人と断じる。既存の文学的価値観を否定し、歴史的観察法では捉えきれない、今を生きる個人の現実と生活の重みを力強く提示する評論である。

坂口安吾

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伝統の否定と一口に言うけれども、伝統は全て否定しなければならぬというものではなくて、すでに実質を失いながら虚妄の空位を保って信仰的な存在をつゞけていることが反省され否定されなければならぬというだけだ。実質あるものは否定の要なく、又、伝統に限らず、全て、実質を失いながら虚妄の権威を保つものは、反省され、否定される必要があるだけだ。

時代の流行というものは、常に多分に、伝統と同じぐらい空虚なものであり易い。それというのが流行を支える大多数の個人が決して誠実な省察を日常の友とはしていないからで、尚いけないことは、時代の指導的地位にある人々、ジャーナリスト、教授、執筆者、必ずしも誠意ある思索家、内省家ではない。

例を私の身辺にとっても、大多数の人々は読みもせぬ小説を批評しているから、魔法使いのようなものだ。×なんて作家つまらんですな。君よんだのかい。いゝえ、みんなそう言ってますよ、とくる。肉体の門て怪しからんエロ芝居ですね。君見たのかい。いゝえ、エロだから見ないんです。私がこう書くと皆さんアハハと笑いだすかも知れないが、そういう方々の何割かが実は日常かゝる奇怪な論証法を友としておられる筈だ。

これが一般読者ばかりではないのである。批評家が、そうだ。文士にも、そういう方がある。そして読みもせぬ半可通を堂々と発表する。

バルザックとかモウパッサンとかいうと、常に歴史的に批評する。その全作品を読んで、時代的な意味を見る。ところが、同じ批評家が、現代に就ては、一ツ二ツの短篇を読んだだけで、作者全部のものをキメつけてかゝってくるから勇ましい。

現代文学の貧困、などゝ近頃のハヤリ言葉であるが、こういうことを言う人は、すでに御当人が阿呆なのである。

老人というものは、口を開けば、昔はよかった、昔の芸人は芸がたしかであった、今の芸人は見られないと言う。何千年前から、老人は常にそう言うキマリのものなのだ。それは彼らが時代というものに取り残されているからで、彼らの生活が、すでに終っているからだ。

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