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TORENDIA

新らしき文学

本文約3,500字 ・ 読了時間 約7分

あらすじ(AIが作成しました)

新興芸術と称して皮相的な新奇さを追う近年の日本文壇や、観念を概念化するプロレタリア文学に対し、文学の本質は反逆的精神と時代創造的な意志にあると論じる。文学は個人の立場で社会や科学に抗い、血と肉を伴う人間悲劇を代弁する破壊的・闘争的な役割を担うべきだと説く。形式や言葉といった末梢的装飾ではなく、芸術それ自身の観念による批判を求め、自ら結成した「桜の会」による新たな文学の建設を主張する宣言的論考である。

坂口安吾

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🎧 新らしき文学 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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(一) その本質に就て

近年、新興芸術の名に於て幾多の文芸運動が試みられてきたが、徒らに皮相の新奇を追ふほかに為すところを知らなかつた。従来幾多の此の如き新(?)文学運動の完全な失敗は、「新らしさ」を誤らしめ、同時に文学を過らしめた。

私の考へによれば、芸術は反撥精神のあらはれであり、時代創造的な激しい意志によつて為さるべきものであると思はれるに拘らず、最近日本文学の新しい傾向は、老人の趣味に一致することを最も純粋と見做し、最も無気力な、自慰的な人間探究に過つた亢奮を感じてゐる。不動のもの、永遠のものは已に亡びてゐる。われわれは変化の中に、発展の一過程の中に、反撥から創造へ向ふ人間を探究し創りつづけてゆかなければならない。

然し、日本文壇の此の過つた新傾向は、実は常規を逸した従来幾多の新芸術運動の浅薄きはまる新らしさが、人に新らしさの本質を疑はしめた罪による。

昔アリストテレス以前には、人々は虹に三色のみを識別した。更に昔は人々は色感に於て赤と黄の二色を識別し得たにすぎない。リグ・ベエダの時代には赤と黒は殆ど識別されてをらず、サンスクリットの全時代に於て緑は完全に発見されてをらぬ。(Hugo Magnus. Sens des Couleurs)我々以後の時代に於て、さらに多くの分類が色彩に就てなされることは予想に難くない。これは単に感覚に於ける新らしさの一例にすぎない。

人物の僅かな身振りによつて、何らの説明なしに複雑な感情を判断させやうとする文学上の一技術は、恐らく映画以前には存在せず、映画以前の老人には理解できまい。

然し、上述の如き新らしさは尚末節にすぎない。そして我々の文学は此の程度の愚劣な末梢的新らしさによつて毒されすぎた。

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