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TORENDIA

酒のあとさき

本文約3,900字 ・ 読了時間 約8分

あらすじ(AIが作成しました)

昭和初期、文士らが集う洋酒屋で出会った十七歳の少女との交流を綴る。著者である私は、文学仲間の間での酒にまつわる無軌道な日々や、好意を寄せる少女との精神的な交流を回想する。また、京都で孤独に執筆へ励んだ際の舞妓とのダンスホールでの出来事を通じ、伝統的な衣装の美しさや、自身の酒への向き合い方についても論じる。過ぎ去った青春の記憶と、酒に溺れつつ生を営むことの意味を内省的に描き出す回想録である。

坂口安吾

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🎧 酒のあとさき / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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私は日本酒の味はきらひで、ビールの味もきらひだ。けれども飲むのは酔ひたいからで、酔つ払つて不味が無感覚になるまでは、息を殺して、薬のやうに飲み下してゐるのである。私は身体は大きいけれども胃が弱いので、不味を抑へて飲む日本酒や、ビールは必ず吐いて苦しむが、苦しみながら尚のむ。気持よく飲めるのは高級のコニャックとウヰスキーだけだが、今はもう手にはいらず、飲むよしもない。ジンやウォトカやアブサンでも日本酒よりはいゝ。少量で酔へるものは、味覚にかゝはらず良いのである。

酔ふために飲む酒だから、酔後の行状が言語道断は申すまでもなく、さめれば鬱々として悔恨の臍をかむこと、これはあらゆる酒飲みの通弊で、思ふに、酔つ払つた悦楽の時間よりも醒めて苦痛の時間の方がたしかに長いのであるが、それは人生自体と同じことで、なぜ酒をのむかと云へば、なぜ生きながらへるかと同じことであるらしい。酔ふことはすべて苦痛で、得恋の苦しみは失恋の苦しみと同じもので、女の人と会ひ顔を見てゐるうちはよいけれども、別れるとすぐ苦しくなつて、夜がねむれなかつたりするものである。得恋といふ男女二人同じ状態にあるときは、女の方が生れながらに図太いもので、現実的な性格がよく分るものであり、だから女の酒飲みが少いのかも知れぬ。

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