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TORENDIA

欲望について

本文約4,500字 ・ 読了時間 約9分

あらすじ(AIが作成しました)

家庭という制度に疑いを抱く著者が、世間の道徳や秩序に抗う人間の根源的な欲望について論じる。勤倹や耐乏を美徳とする社会に対し、天性の娼婦の生き方を引き合いに出し、欲望を押し殺す秩序こそが個性を奪うと批判する。社会生活における秩序と個人の欲望の矛盾を内省し、既存の道徳に縛られず、人間性の真実を追求することの重要性を説く。これは、人生という不可解な問いに対する一つの思索を綴る随筆である。

坂口安吾

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🎧 欲望について / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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私は昔から家庭といふものに疑ひをいだいてゐた。愛する人と家庭をつくりたいのも人の本能であるかも知れぬが、この家庭を否応なく、陰鬱に、死に至るまで守らねばならぬか、どうか。なぜ、それが美徳であるのか。勤倹の精神とか困苦耐乏の精神とか、さういふ美徳と同じやうに、実際は美徳よりも悪徳にちかいものではないかといふ気が、私にはしてならなかつた。

多くの人々の家庭はたのしい棲家よりも、私にはむしろ牢獄といふ感じがする。そしてなぜ耐乏が美徳であるかと同じやうに、この陰鬱な家庭に就ても、人々は、それが美徳であり、その陰鬱さに堪へ、むしろ暗さの中に楽しみを見出すことが人生の大事であるといふ風に馴らされてきた。たゞ「馴らされてきた」のだとしか思ふことができなかつた。

私はマノン・レスコオのやうな娼婦が好きだ。天性の娼婦が好きだ。彼女には家庭とか貞操といふ観念がない。それを守ることが美徳であり、それを破ることが罪悪だといふ観念がないのである。マノンの欲するのは豪奢な陽気な日毎々々で、陰鬱な生活に堪へられないだけなのである。

彼女にとつて、媚態は徳性であり、彼女の勤労ですらあつた。そこから当然の所得をする。陽気な楽しい日毎々々の活計のための。

たぶん太古は人間達はそんな風に日毎々々を陽気に暮してゐたのかも知れない。どうも秩序がなくては共同生活に困るといふので、社会生活といふものが起つてきて、今度は秩序のために多くのことを犠牲にし、善悪美醜幸不幸なにがその本体やらコントンとして分ちがたい物質精神相食み相重りわけの分らぬものが出来上つたのだらうと思ふ。人生とは何か、曰く不可解。私の考へでは、不可決といふのだ。私は決して家庭が悪いと断言しない。断言ができないのだ。この人生に解決があらうとは思はないのだから。

要するに人間には社会生活の秩序が必要であるが、秩序は必ず犠牲をともなうもので、この両方を秤にかけて公平に割りだすやうな算式が発見される筈はない。要するに今あるよりも「よりよいもの」を探すことができるだけだ。絶対だの永遠の幸福などゝいふものがある筈はない。

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