TRENDIA CLASSIC

南風譜

坂口安吾

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私は南の太陽をもとめて紀伊の旅にでたのです。友達の家の裏手の丘から、熊野灘が何よりもいい眺めでした。

このあたりは海外へ出稼ぎに行く風習があります。それゆゑ変哲もない漁村の炉端で、人々は香りの高い珈琲をすすり、時には椰子の実の菓子皿からカリフォルニヤの果物をつまみあげたりするのです。

友達の家に旅装をといて、浴室を出ようとすると、夕陽を浴びた廊下の角から私の方を視凝めてゐる女の鋭い視線を見ました。私の好きな可愛らしい魔物の眼でした。密林の虎の姿勢を思はせて、痺れるやうなノスタルジイに酔はすので、そのやうな眼をもつ人を私はいつも胸に包んでゐるのでした。

友達の顔を見ると、私はさつそく今見た話を伝へました。

「俺のうちには婆やと子供の女中のほかに女はゐないよ」友達は退屈しきつた顔付で語るのも物憂さうに背延びをしました。「君の見たのは、仏像だよ。会ひたけりや食事のあとで案内するが……」

私は思はず笑ひだしてしまつてゐました。

「仏像かね。俺はまた虎かと思つた」

しかし友達は私の浮いた心持にはとりあはず、にこりともせず夕陽を視凝めてゐるのでした。

食事のあと、友達は手燭をともして現れました。「物置には燈がないのだ」渡り廊下を通るとき、海風が、酔ひにほてつた私の顔を叩いてゐました。

仏像は物置の奥手に、埃のいつぱい積つた長持に、凭れるやうにして立つてゐました。木彫の地蔵でした。

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