本文へ移動
TORENDIA

便乗型の暴力

本文約1,400字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

競輪場で頻発する八百長騒動や売上金強奪などの便乗型の暴力を題材に、日本社会に蔓延する理論を欠いた暴力的な風潮を論じる。組織や権力が対話や客観的な物的証拠による説得を放棄し、力による抑圧や煽動を行う現状を批判する。下山事件や三鷹事件など当時の社会事象を引き合いに、左右の対立が知性を欠いた屁理屈の応酬に終始していると指摘し、真の文化国家建設に必要な理論的判断と謙虚な姿勢の欠如を鋭く糾弾する。

坂口安吾

速度
🎧 便乗型の暴力 / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 2

競輪というと八百長騒ぎが景物のようだが、終戦後急速に流行して、組織が完備していないからいろいろのトラブルが起るのは仕方のないことで現にそうだからといって、競輪の性格がそういうものだときまってるワケでもなかろう。組織が完備すれば、八百長も減少して、競馬なみにはなるだろう。

トバクに八百長のつきまとうのは、泥棒や浜のマサゴと同じものかも知れないが、観衆がこれを看破して抗議するのは当然のこと、イカサマが明瞭と知れても素人衆は泣寝入りときまった昔の賭場にくらべれば、民主国のホマレここにありと言うべきかも知れん。

しかし、競輪には八百長が多いというところに便乗して、八百長くさいと独断するや、モッブ化して騒擾を起し、売上金を強奪するに至っては、これは逆に素人衆の賭場荒しである。競輪騒動が常に賭場荒しとは限らないが、常にイカサマを看破しているとも限らない。見込みの外れた口惜しさもあり、長々の損失の腹イセもあって、公平な判断はゆがめられているからである。おまけに、あわよくば八百長クサイところに便乗して一騒ぎたのしめる、というような弥次馬精神も加っているらしい。

こういう便乗型の暴力は理論以前の原始世界で、これに対処し解決を与えるものは理論である。今のはこれであったと公正に判断して、冷静を失した観衆の判断を説服することができるだけの安定した判定の基礎が組織化されていなければならないのである。

ところが競輪の主催者側はそういう組織の完備によって観衆を納得させようとせずに、警官を林立させて、対処しようとする。まったく貸元対賭場荒しの暴力対抗そのままで、近代精神は見られないのである。

賭場は人生の片隅に正常な人生と絶縁されており、好きな奴が勝手に破滅するだけのこと、原始さながらの暴力対抗が行われても吾関せず、ですむかも知れない。しかし、便乗型暴力や暴力対抗というものは、競輪場だけのことではなく、日本全体の風潮でもあるようだ。左右両翼の対立が、理論とは名ばかりで、根は暴力的な対立にすぎない。

坂口安吾の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本