本文へ移動
TORENDIA

水鳥亭

本文約30,500字 ・ 読了時間 約61分

あらすじ(AIが作成しました)

梅村亮作は日曜の夜、かつての同僚である成金の野口からイワシなどの食料を届けられる。この品々を巡り、妻と娘は野口の作為を鋭く指摘し、亮作を精神的に追い詰める。やがて戦後の困窮の中で、亮作は温泉と畑付きの邸宅の主という虚勢にしがみつき、かつての中等教員である浮浪者の存在に心を乱される。彼は自らの置かれた状況とプライドの間で葛藤し、表札を掲げたまま、精神的にも物質的にも逃げ場を失った末に、自らの存在を問い続ける物語である。

坂口安吾

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 38

一匹のイワシ

日曜の夜になると、梅村亮作の女房信子はさッさとフトンをかぶって、ねてしもう。娘の克子もそれにならって、フトンをひっかぶって、ねるのであった。

九時半か十時ごろ、

「梅村さん。起きてますか」

裏口から、こう声がかかる。

火のない火鉢にかがみこんで、タバコの屑をさがしだしてキセルにつめて吸っていた亮作は、その声に活気づいて立ち上る。

いそいそと裏戸をあけて、

「ヤア、おかえりですか。さア、どうぞ、おあがり下さい」

声もうわずり、ふるえをおびている。

野口は亮作の喜ぶさまを見るだけで満足らしく、インギンな物腰の中に社長らしい落付きがこもってくる。彼は包みをといて、

「ハイ。タマゴ。それから、今朝はイワシが大漁でしてね」

タマゴ三個と十匹足らずのイワシの紙包みをとりだしてくれる。

「これはウチの畑の大根とニンジン」

それらの品々は亮作の目には宝石に見まごうほどの品々であった。彼は茫然とうけとっているのである。その目には、涙が流れさえするのであった。

「もう、みなさんは、おやすみですか」

「いえ、かまいませんよ。どうぞ、あがって下さい」

「いま伊東からの帰り路ですよ。まだウチへ行ってないのです。おやすみ」

野口は笑顔を残して、静かに立去る。

日曜の夜の習慣であった。信子と克子は、これが見たくないので、早々にフトンをひッかぶって、ねてしもうのである。

そのくせ信子も克子も野口のくれた物を存分に食う。さかんにくれた人と貰った人の悪口をわめきながら食うのである。

「そんなに厭な人から貰った物なら、お前たち、食うな」

亮作は怒りにぶるぶるふるえるが、二人の女はとりあわない。そして益々悪口を叫びつづける。

「なんですね。あの男は。この子の生れたころは、あなたの同僚ですよ。ひところは失敗つづきで、乞食のような様子をして、ウチへ借金に来たことだってありましたよ。それになんですか。いくらか出世したと思って、たかが戦争成金のくせに、威張りかえって」

「威張っておらんじゃないか」

坂口安吾の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本