佐藤春夫の車塵集を見ると、「杏花一孤村、流水数間屋、夕陽不見人、牛麦中宿」といふ五絶を、
杏咲くさびしき田舎
川添ひや家をちこち
入日さし人げもなくて
麦畑にねむる牛あり
と訳してあるが、「家をちこち」はどうかと思ふ。原詩にいふ数間の屋は、三間か四間かの小さな一軒の家を指したものに相違なからう。古くは陶淵明の「園田の居に帰る」と題する詩に、「拙を守つて園田に帰る、方宅十余畝、草屋八九間」云々とあるは、人のよく知るところ。また蘇東坡の詩にいふところの「東坡数間の屋」、乃至、陸放翁の詩にいふところの「仕宦五十年、終に熱官を慕はず、年齢八十を過ぎ、久く已に一棺を弁ず、廬を結ぶ十余間、身を著けて海の寛きが如し」といふの類、「間」はいづれも室の意であり、草屋八九間、東坡数間屋、結廬十余間は、みな間数を示したものである。杏花一孤村流水数間屋にしても、川添ひに小さな家が一軒あると解して少しも差支ないが、車塵集は何が故に数間の屋を数軒の家と解したのであらうか。専門家がこんなことを誤解する筈もなからうが。
「遠近皆僧刹、西村八九家」、これは郭祥正の詩、「春水六七里、夕陽三四家」、これは陸放翁の詩。これらこそは家をちこちであらう。
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孟浩然集を見ると、五言絶句は僅に十九首しか残つて居ないが、唐詩選にはその中から二首採つてある。しかし私は取り残してある「建徳江に宿す」の詩が、十九首の中で一番好きである。それはかう云ふのだ。
移舟泊烟渚 舟を移して烟渚に泊せば、
日暮客愁新 日暮れて客愁新たなり。
野曠天低樹 野曠うして天樹に低れ、
江清月近人 江清うして月人に近し。
小杉放庵の『唐詩及唐詩人』には、この詩の起句を「烟渚に泊す」と読み切つてあり、結句を「月人に近づく」と読ませてある。しかし私は、「烟渚に泊せば」と読み続けたく、また「月人に近し」と、月を静かなものにして置きたい。