光り合ういのち
本文約129,800字 ・ 読了時間 約260分
あらすじ(AIが作成しました)
幼少期の記憶から青年期に至るまでを綴った本作は、著者が自身の生い立ちや家族、故郷での体験を振り返る。親からの愛情や厳しい別離、未知の美への好奇心といった数々の出来事を通じ、自身の性格が形成される過程を描写する。宗教的求道の旅路を歩む中で、生命が宇宙の大生命と繋がり合い、それぞれが光り合う存在であるという自覚に至るまでの内面的な変化と成長を詳述する自叙伝である。
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幼きころ
1
幼きいのちは他者の手にある。もし愛する者が用意されてなかったら、自分のいのちの記憶もなく、死んでしまうよりない。今日生きながらえている者は必ず愛されて育てられて来たのである。
我々は生れた時のことを記憶していない。愛の手は、そして乳房は自分が知らぬのに待ち設けられてあった。
人間のいのちの受け身の考え方の優先権、自主的生活の不徹底性がここに根ざしている。
私の記憶はおぼろでそしてちぎれちぎれだ。そのフラッシュド・バック――。
私は、母親の背中で泣いていた。母は私を揺ぶりながら、店先をあちこち歩いていた。私はハシカだったらしい。機嫌が悪く、母の背中に頬を当てて、熱ばんだ体に病覚を感じて泣いていた。あわれな、小さな生きものだ。おんぶしたまま母は後ろを振り向く。顔に涙の条が光っている。
母親は私の尻をやさしくたたきつつ、田舎じみた子守歌をうたった。
そのリフレーンが、へんに耳に残っている。
寝ないのかええ、こんな餓鬼やホイ 私の目に塵が入ると母は私を臥かして、胸をひろげて乳房を出して、乳汁を目の中に二、三滴落した。
やわらかい、暖かい乳汁の目ぶたににじむ感じ。それと共に塵がとれて出て来る。
「ほーら、もう痛くあるまいがの」
火のつくように私は泣いた。何のためか母にも、乳母やにも解らない。村の医者が来た。この医者は十八番の腰湯をさせた。すると、げえっと指環を戻して吐き出した。乳母やのを呑み込んでいたのだ。
乳母やの家に連れられて行ったらしい。藁ぶきの屋根、そのまわりに実のなった柿の木があった。茶釜からひしゃくで茶を汲んでいた。ずっと年老った乳母やの母が歯のない口で、やさしく笑って、頭を撫でて柿をくれた。
この乳母やは後に私を灰小屋の柱にくくりつけて置いて、他の男と忍び合い、とうとう駈け落ちした。
進庄という村の妙見祭りに、山の中の宮の馬場で、鳥の尾や、獅子の面をつけた子供たちが太鼓をたたいてはおどるのを見ていた私は、折ふし痢病だったらしく、足から着物からうんこまみれになって泣いていた。