本文へ移動
TORENDIA

新劇の黎明

本文約6,600字 ・ 読了時間 約14分

あらすじ(AIが作成しました)

新劇の歴史を辿り、劇作家が観衆と対話する精神や生活者としての視点を持つことの重要性を論じる。小山内薫による築地小劇場創設などの動きや、阪中正夫や久板栄二郎らによる戯曲生産の飛躍を振り返りつつ、舞台と観衆を繋ぐ力強い生命の泉が不足している現状を指摘する。将来的に演劇的土壌が耕され、素人劇も含めた幅広い活動の中から、新しい劇文学が発展していくことへの期待と展望を綴る。

岸田國士

速度
🎧 新劇の黎明 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 8

一

劇文学の夜は永く続いた。黙阿弥を最後として、わが国には、ほんたうに劇作家といへる劇作家が現れてゐない。ほんたうの劇作家とは、その名前で民衆を劇場に引き寄せ、独特の思想と技術によつて舞台の生命を創造しながら、民衆と共に愉しむことのできる才能をいふのである。

もちろん、ある意味でいくらかの手腕と抱負とを示した岡本綺堂のやうな人はゐるけれども、現代の演劇にその足跡を残すまでの業績を示したとは言ひ難い。森鴎外は、まつたく別の素質によつてわが国の劇文学に近代の洗礼を与へた。しかし、あくまでも、その劇作品は余技の域を出でず、たゞ、いくつかの外国戯曲の紹介が同時代の若き劇文壇に新鮮な刺戟を与へたのみである。

この刺戟のなかゝら二つの貴重な結果が生れた。一つは、小山内薫の自由劇場運動であり、もう一つは、純乎たる劇詩人久保田万太郎の登場である。

この時代はたしかに、演劇史上、特筆すべき新機運の擡頭期であるがすべての文化的現象がさうであつた如く、舞台の近代化も遂に精神と技術との遊離に終り、単に旗じるしとしての「新劇」の名を今日に伝へたといふだけで、真に文学と演劇の領域に跨つて確実な地位を占め得る劇的作品がほとんどまつたく生産されてゐないのである。

十数年後に至つて、小山内薫は土方与志と共に築地小劇場を創設し、いはゆる「新劇」の黎明が再び訪れたかにみえたことがある。この運動もまた不幸にして中途で挫折し、いくたりかの有為な俳優に舞台への情熱を注ぎ込む結果だけを残した。

劇文学の夜はまだ続いた。

二

しかし、これらの有為な俳優は、それぞれ好む道を歩いた。離合集散の過程はあるけれども、大きく別ければ、新協劇団系と築地座系とである。これに、やゝ特殊なテアトル・コメデイ系を加へてもよい。そして、そこに演技の成長が徐々にみられた。

友田恭介、田村秋子、杉村春子、中村伸郎等を築地座系とすれば、滝沢修、千田是也、小沢栄太郎、東山千栄子、岸輝子等を新協劇団系とすべきであらう。

岸田國士の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本