本文へ移動
TORENDIA

『断層』の作者久板栄二郎君へ

本文約1,700字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

久板栄二郎の戯曲『断層』を題材に、特定の主義や思想を掲げた作品に対する作家の姿勢と、芸術的価値について論じる。著者は思想が作品に与える影響や自己批判の欺瞞を批判しつつ、本作に漂う作家の人間的な味と誠実な眼差し、芸術家としての熱情を高く評価する。文学精神の本質を人格の相剋と自己の表現に見出し、あるべき芸術活動の姿を考察し、期待を込めて新協劇団による舞台化に触れる。

岸田國士

速度
🎧 『断層』の作者久板栄二郎君へ / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 2

「文芸」所載の貴作『断層』について、「テアトロ」から何か感想を書けといふ註文ですが、僕はあれを草稿の時分に読んで聞かせていただいたきり、まだ活字になつたのを拝見してゐませんから、その後手をお入れになつた部分について――つまりその部分を含めて、全体の意見を述べることはできません。

しかし、あの草稿を仮に決定的なものとして、その印象を今ここで公に云々することはどうでありませうか? 僕には、それが聊か危険に思はれだしたのです。何故なら、ここをかう直したと伺つた二三の個所についてさへ率直に云へば、やや遺憾に思はれる節があるからです。

しかし、それはそれとして、恐らく、最初の感銘は、本質的にこの作品の一貫した精神からは抜け去つてゐないことを信じます。

僕はある文学的作品の価値を、作家の人間的な味ひとその才能の最も研ぎ澄まされた状態から判断するのを常とし、人格の分裂と対峙、その摩擦と相剋の中にのみ、調和と混沌の美を、更に稟質と教養とが自から向ふところの興味を捉へ、燃え上る何ものかに総てを托したといふやうな表現のうちに、最も作家的な魂を発見して、所謂「芸術的な」悦びを感じるのです。

戯曲は戯曲であるが故にのみ僕には面白い。これに盛られた思想などといふものは、それが独創的なものでない限り、しかも予めレッテルが貼られてゐては、なほさら、一向僕には魅力がありません。それ故、マルクス主義の作品と聞いただけで、実は今まで、おほかた敬遠してゐたといふことは、嘗て君にも告白した通りであります。

が、それは決して、一人の作家がある思想、ある主義を奉じてゐるから、その作品が面白くないといふことにはなりません。彼が文学的行動を取るに際して、自己批判の名にかくれて、全人格の赤裸々な表現を憚る卑怯さ、政治的なる口実の下に、修正され、装飾され、従つて、他所行きになつた自分自身の厚かましい押売り、さういふものが、作品を通じて、われわれのモラルではなく寧ろ神経を、趣味といふよりは寧ろ感覚そのものを絶えず焦ら立たせるからです。

岸田國士の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本