TRENDIA CLASSIC

岡本綺堂

1 / 16

Y君は語る。

明治十年、西南戦争の頃には、わたしの家は芝の高輪にあった。わたしの家といったところで、わたしはまだ生まれたばかりの赤ん坊であったから何んにも知ろう筈はない。これは後日になって姉の話を聞いたのであるから、多少のすじみちは間違っているかも知れないが、大体の話はまずこうである――。

今日では高輪のあたりも開け切って、ほとんど昔のおもかげを失ってしまったが、江戸の絵図を見ればすぐにわかる通り、江戸時代から明治の初年にかけて高輪や伊皿子の山の手は、一種の寺町といってもいい位に、数多くの寺々がつづいていて、そのあいだに武家屋敷がある。といったら、そのさびしさは大抵想像されるであろう。殊に維新以後はその武家屋敷の取毀されたのもあり、あるいは住む人もない空屋敷となって荒れるがままに捨てて置かれるのもあるという始末で、さらに一層の寂寥を増していた。そういうわけであるから、家賃も無論にやすい。場所によっては無銭同様のところもある。わたしの父もほとんど無銭同様で、泉岳寺に近い古屋敷を買い取った。

岡本綺堂の他の作品