一日一筆
本文約3,100字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
兜町の株式仲買店や高輪の海岸、日比谷公園などを訪れた著者が、街の喧騒や歴史の遺物、公園の犬の姿を通して、社会の動揺や運命の不条理を思索する。また、少年時代に憧れたヘボン博士の和英字書との思い出を綴り、亡き父や時代の移ろいに感慨を寄せる。本書は、明治から大正にかけての日常風景や過去の出来事を観察し、市井に生きる人々の営みや歴史の無常を鮮やかに描き出した随筆集である。
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一 五分間
用があって兜町の紅葉屋へ行く。株式仲買店である。午前十時頃、店は掻き廻されるような騒ぎで、そこらに群がる男女の店員は一分間も静坐してはいられない。電話は間断なしにチリンチリンいうと、女は眼を嶮しくして耳を傾ける。電報が投げ込まれると、男は飛びかかって封を切る。洋服姿の男がふらりと入って来て「郵船は……」と訊くと、店員は指三本と五本を出して見せる。男は「八五だね」とうなずいてまた飄然と出てゆく。詰襟の洋服を着た小僧が、汗を拭きながら自転車を飛ばして来る。上布の帷子に兵子帯という若い男が入って来て、「例のは九円には売れまいか」というと、店員は「どうしてどうして」と頭を掉って、指を三本出す。男は「八なら此方で買わあ、一万でも二万でも……」と笑いながら出て行く。電話の鈴は相変らず鳴っている。表を見ると、和服や洋服、老人やハイカラや小僧が、いわゆる「足も空」という形で、残暑の烈しい朝の町を駈け廻っている。
私は椅子に腰をかけて、ただ茫然と眺めている中に、満洲従軍当時のありさまをふと思い泛んだ。戦場の混雑は勿論これ以上である。が、その混雑の間にも軍隊には一定の規律がある。人は総て死を期している。随って混雑極まる乱軍の中にも、一種冷静の気を見出すことが能る。しかもここの町に奔走している人には、一定の規律がない、各個人の自由行動である。人は総て死を期していない、寧ろ生きんがために焦っているのである。随って動揺また動揺、何ら冷静の気を見出すことは能ない。
株式市場内外の混雑を評して、火事場のようだとはいい得るかも知れない。軍のような騒ぎという評は当らない。ここの動揺は確に戦場以上であろうと思う。
二 ヘボン先生
今朝の新聞を見ると、ヘボン先生は二十一日の朝、米国のイーストオレンジに於て長逝せられたとある。ヘボン先生といえば、何人もすぐに名優田之助の足を聯想し、岸田の精水を聯想し、和英字書を聯想するが、私もこの字書に就ては一種の思い出がある。