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TORENDIA

悲願に就て

本文約8,300字 ・ 読了時間 約17分

あらすじ(AIが作成しました)

アンドレ・ジイドの文学観やソ連の変革を論じる。著者は制度が人間を革めるとするジイドの見解を考察しつつ、社会状勢に左右されず、習慣と闘い人間の再発見に努める文学の姿勢を重んじる。自身の創作上の念願である聖者の創造と、日常のやりきれなさを対置させる。さらに当時の文芸誌に掲載された作品を取り上げ、作家が抱く孤独感や人生苦、悲願への向き合い方を評論し、作家自身の魂が真実に没頭して救われることの重要性を綴る。

坂口安吾

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「文芸」二月号所載、アンドレ・ジイドの「一つの宣言」は興味深い読物であった。ドストエフスキーが、又偉大なる作家達が全てそうであったように、習慣的な人間観に抗して、人間の絶えざる再発見に努めてきたジイドは、ソヴエート聯邦に於て制度が人々を解放したばかりでなく、とうとう人間そのものを革めつつある事実に直面して、人間の発見もしくは改革が個人的な懊悩や争闘から獲られるばかりでなく、制度の変革からも獲られることを率直に認めたのである。

仏蘭西文学は仏蘭西大革命の準備はしたが、仏蘭西大革命は殆んど仏蘭西文学に影響を与えなかった。と説き、「仏蘭西大革命は人々を解放することはできても人間そのものを革めることはできなかった」と述べている。この当否はとにかくとして、ソヴエート聯邦の実際を見るまで、制度が人間そのものをも革めるであろうということを彼は確信することができなかったのは事実だ。私個人は常に習慣と闘ってきた、と彼は述懐しているが、彼の個人主義的な懐疑思想というものは畢竟するに、彼の歴史観が、制度は人間そのものを革めはしないと信じていたことに起因すると見るのは不当でない。このことは一人ジイドに限られたことがらではないだろう。習慣と闘った偉大な作家は全て、その教養によってか本能によって、制度は人間を革めないと思いこんでいたのであろう。

そこで、「文学は革命の準備はしたが、革命は文学に影響を与えない」というジイドの見解は、ソヴエート聯邦の出現によって「革命も文学に(人間そのものに)変革を与える」というように訂正されたわけになる。併しながら「文学は革命の準備をする」という彼の考えは勿論変ろう筈はない。「ブルジョワ的習慣があるように、共産主義的習慣もありうるのだ」と彼は言う、そうして、「文学は制度に奉公しなくともいい。隷属した文学は、党するところの主義目的がどれほど貴く、また正しくあっても、堕落した文学である。芸術は真実に没頭するときほど革命に役立つことは決してないのだ」と述べている。

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