無題
本文約1,800字 ・ 読了時間 約4分
あらすじ(AIが作成しました)
越中魚津の寺で過ごす筆者は、K君への返信を通じ、自身の文学観を綴る。芭蕉の風流を嫌悪する筆者は、愛や憎しみ、悲しみといった人間の感情を厳格に追求し、独自の生命の道徳を確立することを自身の文学の指針に掲げる。また、日本の心境小説や文化史が感情を掘り下げる教養を欠いていると批判し、利己の極地を追求することで初めて真に誠実な道徳や価値が生まれると論じる。キリスト教の感情表現への関心や自らの酒との向き合い方を交え、新たな批判の確立を模索する書簡形式の評論。
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K君。
御便り越中魚津の貧乏寺にて拝読。当所は旧友の今は行ひすました草庵であります。八月一杯滞在。九月にこの坊主の紹介で黒部山中の酒造家へ草鞋をぬぐ予定です。頃しも酒のなんとやらいふ季節でありますが、さういへば流浪の餞別にと君から貰つた酒盃、君の店で最も高価な珍器といふ御自讃であつたが、坊主の意見によれば名古屋製のまがひ物の由、黒部山中の清酒にはちと向きかねるといふ辛辣な眼識でありました。
さて、紀元よりの課題の件、改まつてどういふことを五枚の原稿紙に書きつらねていいやら、とんと見当がつかない。君の文面も至極曖昧、あれを言ふかと思へば忽ちこれをいふ底の甚だ妖気漂ふ依頼状であつてみれば、当方では、小説の面白さに就て書くのやら小説は面白くないに極つてゐるといふ異体の知れない忿懣に就て感慨を洩して然るべきものであるやら、判読のつきやう筈のものではない。
流浪直前、バンヂャマン・コンスタンの「アドルフ」について、一頻り私は君と語り明かした幾夜をもつたが、あの頃の考へは今も尚変らないばかりでなく、芭蕉の風流を憎む気持は愈々熾烈の度を加へるばかりのやうです。
私はやはり、人間の感情に対する新らしい批判の確立、憎しみや愛や悲しみ怒りを最も厳格に追求することによつて、神によつて許さるるとも我によつては許されず、神によつて許されじとも我によつては許さるる底の、生命の道徳を確立するためのほかに、小説を書く勇気はありません。
東洋的な諦らめと悟り、これほどちかごろ癪にさわるものはない。つづいて、之に対する軽卒な反抗、つまり殆んど追求といふことをせずに、軽々しく怒り、歎き、悲しみ、喜び、自殺するところの無批判的な自己惑溺、これも亦、ややともすれば小生の陥り易いところであつて、同様癪にさわらざるを得ぬ一敵国であります。