TRENDIA CLASSIC

木々の精、谷の精

坂口安吾

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修吉が北越山中の秋山家を訪ねたとき、恰もそれを見るために遥々やつてきたやうに、まづ仏像のことを尋ねた。

仏像は弥勒だといふ話であつた。観音に似た女性的な柔和な相をし、半跏して、右手で軽く頬杖をついて静思とも安息ともうけとれるやうな姿をしたあの像である。この弥勒像の柔和な顔にきざまれた不思議な微笑に就いて、かねて友達の野沢から屡々話をきいてゐたのだ。野沢の姉が秋山家の当主に嫁してゐるのである。

玉木修吉は仏像の研究家でも蒐集家でもなかつたし、また上代文化に特別造詣のあるわけでもなかつたので、この仏像の話に興味を覚えたことが殆んどなかつた。

夏が近づいたとき、野沢と旅の話をした。そのとき、秋山家で一夏暮してみないかといふ話がでたのだ。山中だから涼しいうへに、ほど近い谷間には温泉のわく部落もあるといふ話であつた。十人ぐらゐの来客が一向目立たない大きな家だし、これといふ娯楽のすくない僻地のことだから、漫然たる滞在客を喜ぶのである。牛肉や海のものが食へないぐらゐの不自由を忍べば、なまじ山間の温泉宿で隣室の絃歌や喧噪に悩むよりはましだらうと野沢は言つた。

「奇妙な微笑をたたへてゐる弥勒像のあるうちだね」と、修吉は思ひついて言つた。

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