安吾の新日本地理
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あらすじ(AIが作成しました)
宝塚少女歌劇を観劇した筆者が、劇場を占領する女学生たちの圧倒的な存在感と、劇団そのものの芸術性を論じる。男役を演じる女優たちの姿に男の美しさや理想を見出す一方で、男性ファンが劇場に入り込むことを阻む「女兵隊」という特異な状況を考察する。男女同権が掲げられる新時代において、男も宝塚を享受する権利を主張すべきではないかと、ユーモアを交えつつその現状と展望を綴る評論である。
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宝塚少女歌劇というものは、現代の神話的存在の一ツである。とにかく私のようなヤジウマ根性の旺盛な人間が今まで実物を見たことがなかった。同様に他の殿方の大部分も実物は御存知あるまい。
東京公演で男の見物姿を見かけることは少いそうだが、本場の宝塚大劇場では男姿も珍しくないという。なるほど、私のような図体の大きいのが最前列で見物していても、ジロジロ視線をあびることもなかったが、しかし見廻したところ男の姿を見出すには相当苦労するな。もっとも進駐軍席があって、私はその隣にいたせいで、怪しまれなかったのかも知れません。
日本の女学生は大方宝塚ファンとみて差支えないようだが、女学生のお小遣いの半分ぐらいは宝塚のために費されているものらしい。さすれば娘のオヤジにとっても甚だ密接重大な宝塚であるが、宝塚を実地見学した教育熱心なオヤジというものは世に稀なもののようである。もっとも母親の半分ぐらいは往年の宝塚ファンで、オヤジはもっぱらその見解を信用して、宝塚なら安心だ、そういう神話的安定度を得ているもののようだ。決して演劇論的に、また経験的に、安全感が生みだされているものではない。
宝塚といえば、もっぱら女学生の見るものと相場がきまっている。ところが、男が見ても、面白いね。面白い筈さ。女の子だけでやる芝居だもの、男にとって興味があるのは当り前の話でしょう。