大塚楠緒子
本文約3,600字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
明治の文壇で活躍した大塚楠緒子の生涯と思出を綴る。著者である長谷川時雨が竹柏園で初めて会った折の瑞々しい美しさと、才気あふれる人柄を回想する。一葉や花圃と並び称され、多才な教養を身につけた彼女が、若くして大磯の別荘で病に倒れるまでの軌跡を辿る。夏目漱石や友人たちが記した逸話や追悼の歌を交え、周囲の人々の胸に深く残る楠緒の美しい面影と、残された家族や夫・保治博士の深い悲しみを、静かな筆致で描き出す。
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もうやがて二昔に近いまえのことでした。わたしは竹柏園の御弟子の一人に、ほんの数えられるばかりに、和歌をまなぶというよりは、『万葉集』『湖月抄』の御講義を聴講にいっておりました。すくなくても十人、多いときは二、三十人の人たちが、みんな熱心に書籍の中へ書入れたり、手帖へうつされたりしていました。男子も交る時もありましたが、集りは多く女子ばかりで、それも年若い美しい方たちが重でした。
美しい方たちの寄合うなかでも、何時までも忘れぬ印象をとめているという方は、さてすくないものと、今更に淋しい思出のなかに、くっきりと鮮かに初対面の姿の目に残っているのは、大塚楠緒子女史の面影でした。
やや面長なお顔だち、ぱっちりと見張った張りのある一重瞼。涼しいのも、爽かなのも、凛としておいでなのもお目ばかりではありませんでした。明晰な声音やものいいにも御気質があらわれていたのでしょうと思います。思うこともなげな、才のある若い美しい方の頬の色、生々として、はっきりと先生におはなしをなさってでした。濃い髪を前髪を大きめにとって、桃割れには四分ばかりの白のリボンを膝折り結びにかたく結んでかけてお出でした。二尺の袖かと思うほどの長い袖に、淡紅色の袖を重ねた右の袂を膝の上にのせて、左の手で振りをしごきながら、目を先生の方を正しくむいてすこし笑ったりなさいました。
帯は高く結んでお出でしたが、どんな色合であったか覚えておりません。忘れたのか、それともその時は、ずっと襖の側に並んで座っていましたから、其処から見えなかったのかも知れません。召物は白い上布であらい絣がありました。
その方がその当時、一葉女史を退けては花圃女史と並び、薄氷女史より名高く認められていた、楠緒女史とは思いもよりませんでした。自分たちと同じほどの年頃のお方かと思っていましたが、女史は二十一か二の頃でありましたろう。お連合の博士は海外へ留学なさってお出のころでした。