天國の記録
本文約37,800字 ・ 読了時間 約76分
あらすじ(AIが作成しました)
三月の夕暮れ、上京した周三とおきみは、過酷な生活から逃れるために、ある銘酒屋へと足を踏み入れる。そこは、女たちの血肉を搾取して利益を得る、地獄のような場所であった。二人は厳しい状況の中で生き抜こうとあがくが、執拗な搾取と暴力、そして逃れられない借金の罠によって、次第に追い詰められていく。都会の片隅で、夢破れた男女が絶望的な運命へと吸い込まれていく様子を描く。
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彼女等はかうして、その血と
肉とを搾り盡された
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一
三月の末日、空つ風がほこりの渦を卷き上げる夕方――。
溝の匂ひと、汚物の臭氣と、腐つた人肉の匂ひともいふべき惡臭とがもつれ合つて吹き流れてゐる、六尺幅の路地々々。その中を、海底の藻草のやうによれ/\と聲もなくうろついてゐる幾千の漁色亡者。
一つの亡者が過ぎて行くと、その兩側の家の小窓から聲がかゝる。遠くから網をなげかけてたぐり寄せるやうな聲、飛びついて行つてその急所へ喰ひつくやうな聲、兩手で掴まへて力一ぱいゆすぶるやうな聲、嘆聲をあげてあはれを賣るやうな聲、哀音をしのばせて可憐さを訴へるやうな聲。
「どうだえ、陽氣なもんだらう。」
先に立つて歩いてゐた辰つアんは、後からついて來る周三とおきみの方へふり向いて、さう言ひかけた。
「まるで何だらう。夏の夜、谷川の道を歩いてると、それ、河鹿てえ奴の鳴き聲が、次ぎから次ぎへと新しく湧いて來る、ちやうどあれ見てえだらう。」
周三もおきみもそれには答へなかつた。周三は、よれ/\の袷の裾下から現はした細い脚をひよろつかせながら、首を縮めて歩いてゐた。おきみは、からだの中に惡寒を感じながら、胸を顫はして歩いてゐた。彼女の耳には、女達の叫び聲が、地獄の底から漏れて來る可鼻叫喚に聞えた。
「何しろいゝ氣持ちのもんだよ。それが毎日毎晩、照つても降つても、三千人からの客がなだれ込むてえんだから、まつたく豪勢なもんだらう。おなじ働くんなら、こんな場所で働かなけりや嘘さ。」
辰つアんはまたそんなことを言ひながら、叫びかける女共の聲へ頓狂な聲で答へたり、呼び込み口へ頭を突つ込んで、げすなことを吐き散らしたりした。
暗い路地は、奧へ入るほど複雜してゐた。それはまるで蟻の巣であつた。辰つアんは、その中を右へ折れ、左へ曲つて、後の二人を案内してゐたが、とある角の青い軒燈のついた家の前へ來ると、その呼び込み口へ、モヂリの片袖を掛けて、
「こんばん」と聲をかけた。と、中から可愛い聲で、
「はい、こんばん、おあがんなさいな。」
「このおたんちん、お客ぢやねえや……ゐるかえ?」