TRENDIA CLASSIC

幕末維新懐古談

高村光雲

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私は結婚後暫く親の家へ帰っていた。ちょうどそれを境にして彼の金谷おきせさんは穀屋の店を畳んで堀田原の家に世帯を引き取りました。

この家は私が戸主で、養母が住んでいるけれども、それはほんの名義だけのことであるから、万事は師匠の意見、またお悦さんおきせさんなど姉妹の都合の好いままに任せ、私は自分の家なる前回度々申した彼の源空寺門前の親たちの家にいることになりました。

もうこの頃では北清島町という町の名前など附いていた頃であった。

師匠東雲師の住居は駒形にあったが、その時分蔵前の北元町四番地へ転宅することになった。

この家は旧札差の作えた家で、間口が四間に二間半の袖蔵が付いており、奥行は十間、総二階という建物で、木口もよろしく立派な建物であったが、一時牛肉屋になっていたので随分甚く荒らしてあった。これが売り物に出たのを師匠が買い取ったのであるが、その頃の売り買いが四百円であったとはいかに家屋の値段が安かったかということが分ります。地面は浅草茅町の大隅という人のものであった。師匠の手に渡ると、造作を仕直し充分に手入れを致しましたが、これらの費用一切を精算して七百円で上がりました。当時江戸の仏師の店としてはなかなか立派なものでありました。

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