自作肖像漫談
本文約4,200字 ・ 読了時間 約9分
あらすじ(AIが作成しました)
彫刻家である著者が、これまで手掛けた肖像彫刻の制作過程や、自身の創作活動にまつわる回想を綴る。父・高村光雲の還暦記念胸像をはじめ、鉄道省の岡野昇、園田孝吉、成瀬仁蔵、黒田清輝らの彫刻に携わった際の苦心や、自身の芸術的信念の変遷を辿る。さらに、妻・智恵子の闘病生活という困難な時期を抱えながら制作を続けた経験や、肖像彫刻に対する独自の美学、また未完に終わった西園寺公の像への思いなど、彫刻家としての人生の一端を率直に記す。
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今度は漫談になるであろう。この前肖像彫刻の事を書いたが、私自身肖像彫刻を作るのが好きなので、肖像というと大てい喜んで引きうける。これまでかなりいろいろの人のものを作った。
昔、紐育に居てボオグラム先生のスチュジオに働いていた頃、暫く同じ素人下宿に居られた鉄道省の岡野昇氏といわれる人が、私に小遣取をさせる気持で肖像を作らせてくれた。肖像で報酬をもらったのはこれが生れて初めての事なのでよく憶えている。先生の所で昼間働いて夕方帰って来てから岡野さんに坐ってもらった。日曜は休みなので朝から勢いこんで作った。七八寸位の小さなものであった。それを石膏型にとって岡野さんは帰朝される時持ちかえられたが、帰国後石膏に斑点が出たという通知があった。その頃はその人に肖せる事だけがやっとの事で彫刻としての面白さなどはまるで無いものであったろうと思われる。「兄貴に似ている」と岡野さんが言われたので、それなら他人と間違えられる事もあるまいと思って稍安心した事を記憶している。令兄は法学博士岡野啓次郎氏という事であった。岡野昇さんは鉄道線路とシグナルとの設計見学に外遊せられていたのであったが、其頃の大宮駅の線路は同氏の設計らしく、引込線を錆びさせないように苦心するのだと常に言って居られた。ボストン停車場の線路はいいという事だったので、後日ボストンに行った時その線路の配置を注意して見たが自分にはさっぱり分らなかった。岡野さんは実に頭のいい人で何でもてきぱきと分った。余程以前に一種のブレイン トラストのようなものを組織せられた事があると記憶する。今もむろん健在の事と思うが、私のあの胸像はどうなっているかしらと時として思い出す。