TRENDIA CLASSIC

吾等の使命

石川三四郎

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清い艶やかな蓮華草は、矢張り野の面に咲き蔽ふてこそ美しいのである。谷間に咲ける白百合の花は、塵埃の都市に移し植うべく、余りに勿体なくはないか。跫音稀なる山奥に春を歌ふ鶯の声を聞いて、誰か自然の歌の温かさを感じないで居られやう。然るに世の多くの人々が、此美しい野をも山をも棄てゝ、宛がら「飛んで火に入る夏の虫」の如く、喧騒、雑踏、我慾、争乱の都会に走り来たるのは何故であらうか。

支那太古の民、壤を撃ちながら歌つた「日出でゝ作り、日入つて息ひ、井を鑿て飲み、田を耕して食ふ。帝力我に何かあらんや」と。「帝力我に何かあらんや」なぞと如何にも不忠の民の様に聞え、堯の聖代の事実としては受取れない様に思れるが、決して、さうでは無い。是は堯の如き聖者の下に於ては、余り善く世の中が治つて、其恵が行き渡つて居ることを記したものである。宛も太陽の恵を吾々が忘れて居る如く、天子の威力が眼立たないのである。こうして農民が鼓腹撃壤して人生を享楽することが出来るならば、農村は誠に明るい楽しい処となり、哀れな忙はしい都会なぞには行きたいとも思はないであらう。夏の虫が火を眼がけて飛び込むのは、暗い夜のことである。我慾の猛火が漲つてゐる都会に、世の人々が引き付けられるのも、矢張り暗黒の時代に限つて居る。

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