本文へ移動
TORENDIA

備前天一坊

本文約12,400字 ・ 読了時間 約25分

あらすじ(AIが作成しました)

徳川時代の岡山で、小笠原金三郎ら三人の浪人が、明君と名高い池田光政の落胤と称して現れる。宿屋の半田屋に居座った彼らは、家臣に取り立てられることを画策する。この企てを知った池田家の小姓・野末源之丞は、藩主の耳に報告を入れる。藩側は召抱えを装って彼らを切腹させる密計を立て、それを知った宿主を通じて浪人たちを脅かす。死を恐れた金三郎らは、結局、岡山を立ち去ることで騒動は収束を迎える。

江見水蔭

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 15

一

徳川八代の将軍吉宗の時代(享保十四年)その落胤と名乗って源氏坊天一が出た。世上過ってこれを大岡捌きの中に編入しているのは、素より取るに足らぬけれど、それよりもズッと前、七十余年も遡って万治三年の頃に備前の太守池田新太郎少将光政の落胤と名乗って、岡山の城下へ乗込んだ浪人の一組があった。この方が落胤騒動としては先口で、云って見れば天一坊の元祖に当る訳。

大名の内幕は随分ダラケたもので、侍女下婢に馴染んでは幾人も子を産ませる。そんな事は決して珍らしくはなかったので、又この時代としては、血統相続という問題の為に、或は結婚政略の便宜の為に、子供は多い程結構なので、強ち現今の倫理道徳を以て標準とすべきでは無いのであるが、しかし、なんにしても国守大名が私生児の濫造という事は、決して感心した事件ではないのである。

ところが、問題の人が明君の誉高き池田新太郎少将光政で、徳川家康の外孫の格。将軍家に取っては甚だ煙ッたい人。夙に聖賢の道に志ざし、常に文武の教に励み、熊沢蕃山その他を顧問にして、藩政の改革に努め、淫祠を毀ち、学黌を設け、領内にて遊女稼業まかりならぬ。芝居興行禁制とまで、堅く出ていた人格者。それに秘密の御落胤というのであるから、初めてこの物語が生きるのである。

「なる程、備前岡山は中国での京の都。名もそのままの東山あり。この朝日川が恰度加茂川。京橋が四条の大橋という見立じゃな」

西中島の大川に臨む旅籠屋半田屋九兵衛の奥二階。欄干に凭れて朝日川の水の流れを眺めている若侍の一人が口を切った。

「どうもこうした景色の好い場所に茶屋小屋の無いというは不自由至極。差当りこの家などは宿屋など致さずして、遊女数多召抱えるか、さもなくば料理仕出しの他に酌人ども大勢置いて、大浮かれに人の心を浮かした方が好かりそうなもの」

同伴の色の黒い、これは浪人体のが、それに次いで口を開いた。

「これ、滅多な事を申されな」

それを制止したのは分別あるらしき四十年配の総髪頭。被服から見ても医者という事が知れるのであった。

江見水蔭の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本