幕末維新懐古談
本文約1,400字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
牙彫家の集団の会合において、会名に牙彫の「牙」を冠すべきか否かの議論が交わされる。木彫家である高村光雲は、自身の属する「彫刻界の発達進歩」を目指す広義の組織として、特定の素材に偏らない名称の必要性を主張する。彫刻という広い概念を総括する名称の重要性を説き、結果として会名は「東京彫工会」に決定される。明治十九年十一月の発会に至るまでの、設立時の名称決定を巡る経緯や理念を記す。
💰 この本を応援する(投げ銭)
そこで、この会名の相談になったのでありますが、牙彫家の集団の会であるから、牙彫の「牙」という文字を入れるか、入れないかという間題になった。
無論牙彫の人たちばかりのこと故、「牙」を入れるが当然であるが、しかし、御相談を受けて私もその席上にあってこの話を聴いていたことであったが、元来、私は牙彫師でないのにかかわらず、この会合の仲間に這入って来ているので、或る人などは、高村は畠違いへ踏み込んで来て牙彫の土を持っているなど悪口をいっていることも私は薄々耳にしている所である。けれど、私の考えとしては、彫刻界の発達進歩の事に骨を折る会合であると思ってこの会に仲間入りしているのでありますからして、彫刻という大きい意味の世界のことについての利害得失に関しては、充分に自己の考えをも申し述べるつもりで、真面目に審議の是非について考えていた所でありました。
で、右の会名の問題となって「牙」の文字を入れる入れないとなって、そうして、入れるが当然という話になると、私は一応自分の考えを述べる必要を感じたのであった。
「私の考えを申しますが、「牙」を表わすことになると「木」をも表わしてもらいたいと私は思います」
こういう意味で述べました。
つまり、私の考えは、今日の審議する所は、単に牙彫と限られた会の名を附ける主意のものでなくして、日本の彫刻家の集合でもっと広義な意味のものであると思うのであったわけであります。
すると、或る人は、
「なるほど、お考えは一応御尤と存じますが、しかし木の方は幾人ありますか」
という質問をされました。