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TORENDIA

幕末維新懐古談

本文約2,400字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

明治二十年の秋、皇居御造営事務局から鏡縁の彫刻を依頼された彫刻家が、宮内省の厳粛な仕事に身を引き締めて臨む様子を綴る。硬い花櫚の材に葡萄と栗鼠の模様を彫り上げるため、栗鼠の動作を研究し、菩提寺の坐敷を借りて制作に励む過程を描く。さらに、その後の御欄間や御学問所の彫刻制作を通じ、宮中という特別な空間のための仕事に細心の注意を払い、弟子らと共に技術を尽くして納品に至るまでの職人としての歩みを記録する。

高村光雲

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🎧 幕末維新懐古談 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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御徒町に転宅しまして病気も概かた癒りました。

その時が明治二十年の秋……まだ本当に元の身体には復しませんが仕事には差し閊えのないほどになった。

すると、その年の十二月、皇居御造営事務局から御用これあるにつき出頭すべしとの御差紙が参りました。何んの御用であるか、いずれ何かの御尋ねであろう、出て行けば分ろうと思って出頭しますと、皇居御造営について宮城内の御間の御装飾があるによってその御用を仰せつけられるということであったので、誠に身に取り名誉のことで、有難き仕合わせと謹んでお受けをして退出したことでありました。

この皇居御造営の事は日本美術協会の方にも関係がある。協会の役員の一人である山高信離氏は御造営の事務局長でありました。氏は当時有数の博識家で、有職故実のことは申すまでもなく、一般美術のことに精通しておられ、自ら絵画をも描かれた位でありますから、建築内部の設計装飾等の万般について計画をしておられまして、各種にわたった技術家諸職工等を招きそれらの考えを聞き、自分の考えと参考斟酌して概略のところをまず決定されておられたようなことであった。それで氏は私のことをも美術協会の関係上多少知っておられ、私の技術をもお認めになっておったものか、氏のお考えによって私にも御用を仰せ附けられた次第であったことと思われます。

宮城内の事は雲深く、その頃の私は拝観したことも御座いませんから分りもしませんが、その御化粧の御間に据えられる所の鏡の鏡縁の彫刻を仰せ附けられたようなわけでありました。

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