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TORENDIA

想い出

本文約3,800字 ・ 読了時間 約8分

あらすじ(AIが作成しました)

夏を過ごす小田原の酒匂川で鮎釣りに励む青年は、毛針を使った石川釣りに限界を感じ、友釣りという技法に関心を持つ。冷淡な老釣り師に教えを請うも拒絶されるが、独学で道具を揃え、鮎の闘争性を利用する友釣りの仕組みを考察する。見よう見まねで囮鮎を操り、自らの腕で初めて川鮎を釣り上げた喜びを綴る。

佐藤垢石

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🎧 想い出 / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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十五、六歳になってからは、しばらく釣りから遠ざかった。学校の方が忙しかったからである。

二十歳前後になって、またはじめた。

母と共に、二年続けて夏を相州小田原在、松林のこんもりとした酒匂村の海岸に過ごしたことがある。炎天を、毎日海辺の川尻の黒鯛釣りやはや釣りに専念して、第一年の夏は終わったのであったが、第二年は六月のはじめから鮎釣りをやってみた。

五月下旬のある日、ふと東海道の木橋の上手にある沈床の岸に立って瀬脇をながめると、遡りに向かった若鮎が盛んに水面に跳ねあがるのを発見した。

『この川にも、鮎がたくさんいるのだな』

と、昔の友に会ったように感じた。

子供の時から利根川で、父と共に若鮎に親しんでいた私であるから、ここで鮎の跳ねるのを見て、矢も楯も堪らなくなったのは当然であった。すぐその足で、小田原町本町一丁目の『猫』という異名を持つ釣り道具屋へ訪ねて行って、竿と毛鈎を求めたのである。まだその頃は、関東地方へきている加賀鈎や土佐鈎の種類も少なく、私は青お染、日ぐらし、吉野、そのほか二、三を選んだのであった。

竿は、若鮎竿として我が意を得たものがなかったから、長さ二間ばかりの東京出来の鮒竿で、割合にしっかりしたものを買った。その頃、小田原地方では静岡地方と同じように、加賀鈎や土佐鈎を使う沈み釣りを、石川釣りといって、ドブ釣りとはいわなかった。ドブ釣りとは、多摩川を中心とした釣り人が造った言葉であったからだろう。

石川釣りをやる人も、まだ酒匂川筋では稀であって、多くは石亀(川虫)を餌にした虫釣りか、十本五銭位で買える菜種鈎という黄色い粗末な毛鈎で、浮木流しをやっているのと、職業漁師が友釣りとゴロ引きをやっていた。

六月一日の鮎漁解禁日がくると、引き続いて毎日出かけた。利根川式の鈎合わせで釣ると並んで釣っている誰よりも、一番数多く私に釣れた。深い場所では青お染、浅い場所では吉野が成績をあげたのである。

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