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TORENDIA

酒渇記

本文約9,300字 ・ 読了時間 約19分

あらすじ(AIが作成しました)

酒をこよなく愛した著者が、古今の酒の価格や質、酒にまつわる逸話を通じて自身の酒との関わりを綴る随筆。江戸時代の酒価を記録と比較しながら時代の移ろいを論じ、禁酒に苦心する自身の生活や、放蕩な日々を過ごした重臣の増田蔵人が家臣の忠言により更生する説話を紹介する。長年酒に親しんできた経験を背景に、酒がもたらす悲喜交々の人生模様を描き、酒と人との関係性について考察を深める。

佐藤垢石

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一

近年、お正月の門松の林のなかに羽織袴をつけた酔っ払いが、海豚が岡へあがったような容でぶっ倒れている風景にあまり接しなくなったのは年始人お行儀のために、まことに結構な話である。また露地の入口に小間物店を開いた跡が絶えて少なくなったのも衛生上甚だ喜ばしい。

それというのは、ご時世で物の値が一帯に高くなり酒ばかり飲んでいたのでは生活向きが立たなくなるという考えが、飲み放題のお正月へも影響してお互いに控えましょう、となった結果であると思う。松の内くらいは、などと意地汚いのは時代に副わぬものだ。お互いに、物の消費を少なくして、国家経済の向かうところに従ってゆこうではないか。だが、理屈は抜きにして昔のお正月のことを回顧して、こん日の美俗に思いを寄せると、ただ何となく物さびしい気がする。

私なども、若い時から大酒飲みで讃酒の生涯を送ってきたが、この頃では大して飲まなくなった。いや、飲まなくなったのではない、飲めなくなったのだ。心献に、輓近の美俗を尊重するつもりはないのだけれど、こう物価が鰻のぼりにのぼってきては、思う存分飲む訳にはゆかないからである。ほんとうに、これで参ったというほど頂戴してみたい。などと、さもしい夢をみることもある。

私の父も、随分酒が好きであった。毎日、朝から酔っ払っていたのである。しかし、おとなしい酒で、酔ってもにこにこしているが、一年中朝からにこにこされているのには家族の者も閉口した。私の子供のころ、近所の醸造元から毎夕二升入りの兵庫樽を配達してきた。それで金三十銭。つまり、一升十五銭という勘定である。こんな安い大乗の茶を飲んで、朝から瓶盞の仁となっていられた父は幸福であった。

いま時、一升十五銭などという安い酒は思いもよらない。酒楼に上がれば、一合三、四勺入りの徳利を二合入りと称して、一本七十銭から八十銭と勘定書についてくる。酔い潰れるほど、飲めなくなった所以であろう。

二

二升入りの兵庫樽一本三十銭は、明治中世の話であるが、維新前は我々に想像もつかぬほど安かったものだ。

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