楢の若葉
本文約1,900字 ・ 読了時間 約4分
あらすじ(AIが作成しました)
利根川の春の朝、十二歳の少年は父と共に川釣りへ出かけ、はやを追いながら親子の絆を深める。釣りの帰り道、父は楢の若芽が育つ頃に若鮎が遡上することを語り、川千鳥の動きから季節の移ろいを教える。月日が流れ、老年を迎えた作者は、釣った鮎の感触や楢の葉の姿に、経済には無関心ながらも優しかった父の面影を重ね合わせ、在りし日の記憶と父への変わらぬ敬慕の念を瑞々しい情景とともに綴る。
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いま、想いだしても、その時のことがはっきりと頭に浮かび、眼にも描かれる。
三十五、六年前の四月二十四日のひる前であった。私は十二、三歳の少年。父は三十七、八歳。溢れるような元気に満ちた壮者であったに違いない。
はやは、利根川の雪代水を下流から上流へ上流へと遡ってきた。はやという魚は、おいしいとほめるほどでもないが、産卵期が近づくと、にわかに活動が盛んになってきて、頭から横腹、尾の端まで紅殻を刷いたように薄紅の彩が浮かび、美装を誇るかに似て麗艶となるのである。そして腹の小粒の卵に、ある一種の風味を求めて、私の村の人々は毎年春になると、遠く下総国の方から遡ってくるはやを、飛沫をあげて流れる利根川へ釣りに行った。
その朝まだ薄暗いうちから、私ら父子も田んぼの畔まで母に送られて家を出て、利根川の崖下まで行ったのである。
父は二間半の竿を巧みに使った。私は、軽い二間半で道糸に水鳥の白羽を目印につけ、暁の色を映しゆく瀬脇の水の面を脈釣りで流した。
少年の私にも、忙しいほど釣れたのをみると、その頃の利根川には、ずいぶん[#「ずいぶん」は底本では「ずんぶん」]数多くのはやがいたのであろう。二、三時間で、魚籠は一杯になった。魚籠の中で、バタバタと跳ねる魚の響きが、腰に結えた紐から身体に伝わってきて、何とも快かった。
腹がすいてきた。
『もう、帰ろう』
父は、にこにこしながら私を顧みて言った。もう朝の陽は一ひろほども空へ昇っていた。晩春の朝の微風が、砂丘の小草の若葉を撫でながら渡ってきて、糸の目印の羽毛をひらひらと動かす。
みぎわの小石には、微かにかげろうが揺れはじめていた。
私は父の言葉に心で応えて、口では答えなかった。それほど魚の当たりが忙しい。いまの目印の動きは、魚の当たりか、風の煽りか、その判断に固唾をのんでいる時に『帰ろう』と言う、父の言葉であったのだ。
わずかに、竿先へ煽りをくれて軽く鈎合わせをすると、掛かった。魚は、水の中層を下流へ向かって、逸走の動作に移った。やはり、水鳥の白羽の動きは、はやの当たりであったのである。
『帰りましょう』
と、私ははやの口から、鈎をはずしながら答えた。