序章
他の慢性病もやはりさうであらうが、癩といへども、罹つたが最後全治不可能とはいへ、忽ちのうちに病み重るといふことはなく、波のやうに一進一退の長い月日を過しつつ、しかし満ちて来る潮のやうに、波の穂先は進んでは退き進んでは退きしつつやがて白い砂地を波の下にしてしまふ。さういふ風に病勢が進行を始めると患者達は「病気が騒ぎ出した」と云ひ、停止すると「落着いた」と云ふ。そして一騒ぎある毎に一段一段と病み重つて行くのである。唯一の治療法たる大楓子油の注射も効能は勿論あるとは云ひながら、しかしそれも進行の速度をゆるめるといふ程度に過ぎず、本質に於ては病気の進行は時間の進行と平行してゐるのである。ただ毀れかかつた時計のやうに、一時進行を中止してはまた急いで動き出すといふ調子である。もつともなかにはその中止すらもなくただ病み重つて行く一方の者もある。かういふのは湿性(菌陽性)には少く、乾性(菌陰性)に多い。
成瀬信吉もここへ来た始めの頃は懸命に注射すれば治癒することもあらうと思つてゐたのではあつたが、やがてさうした考へが如何に病気に対して無知な甘い考へであつたかに気付かねばならなかつた。今になつて思ひ当るのであるが、ここへ来て間もない頃、まだ十一二歳のあどけない女の児が、年長の男に「早く良くなつて帰るんだよ」と冗談半分に云はれた時「あたいの病気は解剖室に行かなきや癒らないんだい」と答へたのを彼は聞いたのであつた。現在なほその女の児を見る度にその時のことを彼は思ひ出すが、この純真そのもののやうな少女が、自分は解剖室へ行く以外に何処へも行き場のないことを意識してゐるのかと、暗憺たる気持になるのであるが、しかしこれは真実の言葉であつた。――そして入院後八ヶ月ほど過ぎた頃、成瀬の病気も突如「騒ぎ」始めたのであつた。