レコード蒐集
本文約2,200字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
レコードの普及と蒐集のあり方を巡り、著者は音楽を純粋に聴く手段としての利便性を評価する。一方で、電気技術の産物であるレコードにおいて、再生環境の違いを度外視して演奏家の技術を評価する通弊に疑問を呈する。視覚情報が排除された聴取環境下で、録音の制作プロセスに触れつつ、音楽と演奏の真髄とは何か、そして技術の進歩がもたらす音楽界への影響や鑑賞の可能性について考察を綴る。
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何だかレコード会社のまわし者のいいそうな事をいうようですが、しかしレコードがこんなに沢山売れて、社会一般に普及したことを私は非常に結構な事だと思います。
レコードは蒐集慾の対象物としてはなはだ都合のいいものです。お金のある人はそれでかなり蒐集慾を満足する事が出来ます。その点でレコードは音楽会のプログラムを集めるよりもよほど価値があります。お前はベートーヴェンのジンフォニーを聞いたかと問われた時、プログラムを出したのではなんとなく貧弱ですが、我輩はメンゲルベルクとワインガルトネルとフルトウェンゲルとストコウスキーとムックと――実際そんなものがあるかどうか知りませんが、――を持っているといえばいかにも豪壮に聞えます。それでレコードはだんだん広く売れてゆきます。なにはともあれ、はなはだ結構な事です。しかし私は実は余り蒐集慾がないので、レコードは人のところに行って聞かせてもらって、せいぜいそれを褒めて、後でビールでも一杯おごってもらう事にしています。そんな心がけですからレコードの事については実は余りよく知りません。
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レコードの蒐集家とも私は多くつき合った事がないからよく知りませんが、たまにその話を聞くと、誰もみな大変むずかしいことをいっているようです。その一例は、レコードを通じて、演奏家の技術の優劣巧拙を論じているのが普通なようです。たとえばコルトーの弾いたショパンの『エテュード』のレコードを聞いて、コルトーのピアノのタッチは非常にきれいで、この演奏は名演奏であるというようなものです。