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TORENDIA

大衆文芸問答

本文約8,200字 ・ 読了時間 約17分

あらすじ(AIが作成しました)

純文芸と大衆文芸の相違について、世間の嗜好を顧慮するか否か、また読者の教養水準に応じた表現方法の違いを論じる。震災を経て人々が慰めを求めたことで隆盛を極めた大衆文芸が、書斎芸術に対し辻文芸の域にあると位置づけ、そこに現代の思想を織り込む重要性を説く。さらに、探偵小説を含む大衆文芸の現状や本格・変格の議論にも触れ、作家が自らの見解を語る対話形式の構成で、当時の文学状況に対する考察を収める。

国枝史郎

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問「大衆文芸と純文芸、どこに相違点があるのでしょう?」答「純文芸は叱る文芸、大衆文芸は叱らない文芸。ざっとこんなように別れましょうかね」問「変な云い廻わしじゃありませんか」答「ちっとも変じゃありませんよ。ひとつ簡単に説明しましょう。純文芸の作家連は、こう世間様へ申します。『俺の作は可い作だ。お前達よ、読まなければならない。読まない奴はヤクザ者だ』そういう態度で書かれた物が、世に謂う所の純文芸です。これに反して大衆作家は、世間の要求に応じます。つまり世間の人達の方から、大衆作家に云いかけるのです。『ねえ大衆作家君、僕等の読みたいのは斯ういう物です。こういう物を作って下さい』『はいはい宜敷うございますとも、そういう物を作りましょう』さて其処で作ります。そういう態度で作られたものが、世に謂う所の大衆文芸です」問「どうもハッキリしませんね」答「では語を変えて云いましょう。世間の嗜好を顧慮せずに、書いた物が純文芸で、その反対が大衆文芸です」問「そうは云っても、純文芸の中にも、世間の嗜好を顧慮したものが、随分あるようじゃありませんか」答「それは勿論ありましょうね。要するに程度の問題です」問「世間の嗜好に投じてばかりいるのは、よい事ではありますまい」答「まず嗜好に投ずるのです。それから作者の思う所を、ジワジワと世間へ伝えるのです。――面白可笑しく読ませ乍ら、思う所を伝えるのです」問「純文芸よりも大衆文芸の方が、読者の数は多いでしょうか?」答「ええ何うやら多いようですね。純文芸はルビ無し文芸、大衆文芸はルビ附文芸、これで解るじゃあありませんか」問「また変なことを云い出しましたね」答「ちっとも変じゃあありませんよ。ルビが無いということは、ルビが無くても文章の読める、教養のある人達を、相手にしているということになり、ルビが有るということは、仮名しか読めない人達をも、相手にしているということになります。そうして世間を見渡した所、どうも仮名しか読めないような、そういう人達が沢山あります」

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