黒い蝶
本文約21,300字 ・ 読了時間 約43分
あらすじ(AIが作成しました)
養父の様子を気にかけながら帰宅の途につく義直は、かつて見慣れたはずの塔を眺め、自身の周囲で噂される血縁や財産をめぐる因縁に思いを巡らせる。養父が狂気に陥った原因をめぐる疑念や叔父との複雑な関係に不安を感じる中、義直は不思議な女に導かれ、場所も時間も判然としない場所へと足を踏み入れる。そこで亡き養母の面影を持つ女と対峙し、次第に正気を失うような錯綜した状況の中で、義直の足取りは途絶えてしまう。
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一
義直は坂路をおりながらまた叔父のことを考へた。それは女と一緒にゐた時にも電車の中でも考へたことであつたが、しかしそれは、叔父が自分の帰りの遅いのを怒つて待つてゐるだらうと云ふことであつたが、あの時のはその叔父が自分の家へ来て坐つてゐるやうな感じが加はつてゐた。義直は困つたなと思つた。
(行つて来ましたが、和尚さんが留守でしたから、念のために明日の朝早くも一度行くことにして来ました、)
行つたけれども留守であつたと云ふことにして、明日の朝行かうと考へてゐる弁解の言葉が、役立たないやうに思はれだした。彼は歩いて来た路が行き詰つたやうな気になつて歩くことを止めた。
(どう云つたものだらう、)
暗いひつそりした坂路が自分の体を支へてゐた。義直は向ふの崖の上に眼をやつた。暗い屋根の並んだ上に不思議な形をした建物が聳えてゐた。建物の上には三ツの星があつた。それは石燈籠の上に祠をのつけたやうに見える塔であつた。彼は不思議な物を見付けたと云ふやうな眼付をしてそれを見詰めた。それは裁判官あがりの地主が建築したもので、二三年この方見慣れてゐる物であつた。
(――谷の怪塔、)
青いぎらぎらした光がその塔の中から出て、それが蛇の畝るやうに光つた。塔の四方には一つづつの小さな窓があつて時とするとその窓から灯の見えることは義直の記憶にあつた。彼は今晩はその窓へ探照燈のやうな仕掛けでもして遊んでゐるのではないかと思つたが、もう何も見えなくなつて、塔の輪廓がまた薄くぼんやりと見えて来た。
(眼の具合であつたかな、今晩は別に灯も見えてゐるやうでない、)
義直は時間のことを思ひだした。
(もう十時だらうか、)
彼は女と別れて帰つて来た時のことを考へた。女は二人で飲んだ氷のコツプを盆へ載せておろして行つたが、あがつて来ると笑顔になつて了つた。
(もう十分過ぎてますよ。ついでに十一時まで好いでせう、十一時までいらつしやい、)