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TORENDIA

伝通院

本文約5,500字 ・ 読了時間 約12分

あらすじ(AIが作成しました)

幼少期を過ごした小石川の街を回想する随筆。かつての住居が変容し、名所である伝通院が焼失するなどの歴史的変化を辿りながら、街の風景やそこで暮らした職人、縁日の大道芸人たちの姿を綴る。都市の発展と共に消えゆく江戸の残影や人々の熱情を惜しみ、自身の芸術的感性の礎となった小石川の情景を鮮やかに描き出す。

永井荷風

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🎧 伝通院 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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われわれはいかにするともおのれの生れ落ちた浮世の片隅を忘れる事は出来まい。

もしそれが賑な都会の中央であったならば、われわれは無限の光栄に包まれ感謝の涙にその眼を曇らして、一国の繁華を代表する偉大の背景を打目戍るであろう。もしまたそれが見る影もない痩村の端れであったなら、われわれはかえって底知れぬ懐しさと同時に悲しさ愛らしさを感ずるであろう。

進む時間は一瞬ごとに追憶の甘さを添えて行く。私は都会の北方を限る小石川の丘陵をば一年一年に恋いしく思返す。

十二、三の頃まで私は自分の生れ落ちたこの丘陵を去らなかった。その頃の私には知る由もない何かの事情で、父は小石川の邸宅を売払って飯田町に家を借り、それから丁度日清戦争の始まる頃には更に一番町へ引移った。今の大久保に地面を買われたのはずっと後の事である。

私は飯田町や一番町やまたは新しい大久保の家から、何かの用事で小石川の高台を通り過る折にはまだ二十歳にもならぬ学生の裏若い心の底にも、何とはなく、いわば興亡常なき支那の歴代史を通読した時のような淋しく物哀れに夢見る如き心持を覚えるのであった。殊に自分が呱々の声を上げた旧宅の門前を過ぎ、その細密い枝振りの一条一条にまでちゃんと見覚えのある植込の梢を越して屋敷の屋根を窺い見る時、私は父の名札の後に見知らぬ人の名が掲げられたばかりに、もう一足も門の中に進入る事ができなくなったのかと思うと、なお更にもう一度あの悪戯書で塗り尽された部屋の壁、その窓下へ掘った金魚の池なぞあらゆる稚時の古跡が尋ねて見たく、現在其処に住んでいる新しい主人の事を心憎く思わねばならなかった。

私の住んでいる時分から家は随分古かった。それ故、間もなく新しい主人は門の塀まで改築してしまった事を私は知っている。乃ち私の稚時の古跡はもう影も形もなくこの浮世からは湮滅してしまったのだ……

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