国府台から中山を過ぎて船橋の方へと松林に蔽はれた一脈の丘陵が延長してゐる。丘陵に沿うてはひろ/″\した平野が或は高く或は低く、ゆるやかに起伏して、単調な眺望にところ/″\画興を催すに足るべき変化を示してゐる。
市川に移り住んでから、わたくしは殆ど毎日のやうに処を定めずそのあたりの田舎道を歩み、人家に遠い松林の中または窪地の草むらに身を没して、青空と雲とを仰ぎ、小鳥と風のさゝやきを聞き、初夏の永い日にさへその暮れかけるのを惜しむやうなこともあつた。
然しわたくしの眺めて娯しむ此辺の風景は、特に推賞して人を誘つて見に行くべき種類のものではない。謂はゆる名所の風景ではない。例へば松林の間を貫く坂道のふもとに水が流れてゐて、朽ちた橋の下に女が野菜を洗つてゐるとか、或は葉鶏頭の淋し気に立つてゐる農家の庭に、秋の日を浴びながら二三人の女が莚を敷いて物の種を干してゐるとか、又は、林の間から夕日のあたつてゐる遠くの畠を眺めて豆の花や野菜の葉の色をめづると云ふやうな事で。一言すれば田舎のどこへ行つても見ることの出来る、いかにも田舎らしい、穏かな、平凡な風景。画を習ひ初めた学生のカンバスには一度は必ず上されるべき風景に過ぎない。特徴のないだけ、平凡であるだけ、激しい讃美の情に責めつけられないだけ、これ等の眺望は却て一層の慰安と親愛とを催させる。普段着のまゝのつくろはない女の姿を簾外に見る趣にも譬へられるであらう。
東京にゐる友達の一人に、わたくしは散策の所感を書いて送つた。すると某友は返書を寄せたのみならず、ある日ふらりと尋ねて来て、
「わたしもあの辺の田舎道にはいさゝか思出があるのです。法華経寺の奥の院からすこし行くと競馬場があつたのですが、戦争後はどうなつたでせう。」と言つた。
「競馬場は今でもそのまゝ残つてゐるやうです。然しペンキ塗のあの建物と、無線電信の鉄柱は、むかし向嶋の風景を見に行つた人達が蔵前と鐘ヶ淵の烟突をいやがつたやうなもので、わたしは成りたけあゝいふ物の見えない方面を歩くことにしてゐます。」