TRENDIA CLASSIC

夜あるき

永井荷風

1 / 5

余は都会の夜を愛し候。燦爛たる燈火の巷を愛し候。

余が箱根の月大磯の波よりも、銀座の夕暮吉原の夜半を愛して避暑の時節にも独り東京の家に止り居たる事は君の能く知らるゝ処に候。

されば一度ニユーヨークに着して以来到る処燈火ならざるはなき此の新大陸の大都の夜が、如何に余を喜ばし候ふかは今更申上るまでもなき事と存じ候。あゝ紐育は実に驚くべき不夜城に御座侯。日本にては到底想像すべからざる程明く眩き電燈の魔界に御座候。

余は日沈みて夜来ると云へば殆ど無意識に家を出で候。街と云はず辻と云はず、劇場、料理店、停車場、ホテル、舞踏場、如何なる所にてもよし、かの燦爛たる燈火の光明世界を見ざる時は寂寥に堪へず、悲哀に堪へず、恰も生存より隔離されたるが如き絶望を感じ申候。燈火の色彩は遂に余が生活上の必要物と相成り申候。

余は本能性に加へて又知識的にこの燈火の色彩を愛し候。血の如くに赤く黄金の如くに清く、時には水晶の如くに蒼きその色その光沢の如何に美妙なる感興を誘ひ侯ふか。碧深き美人の眼の潤ひも、滴るが如き宝石の光沢も、到底これには及び申さず候。

余が夢多き青春の眼には、燈火は地上に於ける人間が一切の欲望、幸福、快楽の象徴なるが如く映じ申候。同時にこれ人間が神の意志に戻り、自然の法則に反抗する力ある事を示すものと思はれ候。人間を夜の暗さより救ひ、死の眠りより覚すものはこの燈火に候。燈火は人の造りたる太陽ならずや、神を嘲りて知識に誇る罪の花に侯はずや。

さればこの光を得、この光に照されたる世界は魔の世界に候。醜行の婦女もこの光によりて貞操の妻、徳行の処女よりも美しく見え、盗賊の面も救世主の如く悲壮に、放蕩児の姿も王侯の如くに気高く相成り候。神の栄え霊魂の不滅を歌ひ得ざる堕落の詩人は、この光によりて初めて罪と暗黒の美を見出し候。ボードレールが一句、

Voice le soir chermant, ami du criminel;

Il vient comme un complice, pas de loup; le ciel

Se ferme lentement comme une grande alcve,

永井荷風の他の作品