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TORENDIA

風は草木にささやいた

本文約4,400字 ・ 読了時間 約9分

あらすじ(AIが作成しました)

京都で思索と散策に耽る哲学徒が、友人である詩人・山村暮鳥の詩集に向けて綴った序文的随筆。著者は自身の「神秘的象徴主義」の芸術論を提示しつつ、世俗の文壇の評価とは別に、自然の健全さと創造者の力に満ちたその詩境を高く評価する。自己の哲学が揺らぐ時にも変わらず真実として響く詩の奇跡を称え、人間への深い愛と予言者の特権をもって詩作の道を歩む友人を力強く祝福し、その豊饒な天分を讃える内容となっている。

土田杏村

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🎧 風は草木にささやいた / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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山村君

君と僕とは如何なる不思議の機縁あつてか斯くも深いまじはりに在り、君のその新しい詩集の一隅にいまは僕の言葉がつらなることとなつてゐる。おそらく君は僕を一評論家と遇して何事をか述べさせようとするのではなからう。僕もまた文壇に立つものの一人として君の詩集にむかはうとは思はない。君の生活は僕にとつてはあまりに嚴肅であり、君の詩は僕にとつてはあまりに尊貴であるが故に、僕は幾分でもかの評論家の態度に於て君に對することを恥ぢてゐる。而もかの唐土の一詩人がつねにその詩を街上の老嫗にもたらした雅量をもつて君が僕の言葉にきかれるならばそれは僕の幸福といふものだ。

君の詩について僕がなにごとかを言ふのはこれで三度目だと思ふ。はじめは「第三帝國」で「新文藝の理想を提唱す」の一ぺんを書き、僕の所謂神祕的象徴主義の哲理を提唱した時であつて其の中で僕はまづ僕の藝術理想を斯く主張した。

1 まづ人道主義者の主張に反して文藝からは一切の道徳的倫理的の標準をとり去らなければならない。 2 個人的相對的經驗的の感覺と感情とをはなれて超個人的絶對的形而上的の感覺と感情、言はば宇宙或は自然がもつ感覺感情ともいふべきものを表現しなければならない。これに對して前者の感覺と感情とをのみ表現してその奧に後者の感覺と感情とを暗示し得ない藝術をセンチメンタリズムの藝術と呼ぶ。 3 此の意味の感覺と感情とを表出する手段(材料)は適切にその感覺と感情とに對應しなければならぬので、手段が感覺と感情とを※[#「走にょう+兪」、117-下-18]越することも亦其の反對も許されない。換言すれば或る特異の感覺と感情とを表現するには聯想といふ手段によつて示してはならない。その特異の感覺と感情とをただそれだけのもの即ち其れ以上でも其れ以下でも以外でもないものによつて表現しなければならない。これが象徴である。

僕の此の神祕的象徴主義からみた君は如何なる詩人であるか。

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