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TORENDIA

忘れ難きことども

本文約1,400字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

師匠の苦労を間近で見てきた筆者が、西洋巡業の夢を語り合った日々や、舞台稽古から戻った夜の急変を回想する。大連や露西亜を経て米国での興行を計画していた師匠の姿や、舞台稽古のさなかに届いた連絡、そして家へ駆けつけた時の心境を綴る。筆者の深い哀悼の念と共に、師匠との別れに直面した時の戸惑いや、忘れられない思い出の数々を克明に描き出す。

松井須磨子

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🎧 忘れ難きことども / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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先生のことを思ひますと、唯私は悲しくなります。先生は、随分苦労をなさいました。ほつと呼吸をつく間もない位に、殆んど苦労のし通しでした。それを残らず傍にゐて見知つてゐるだけに、皆私には忘れられないことばかりです。

先生は、ずつと以前から、私達一座を率ゐて西洋へ行つて見たいと云ふお考へを持つてゐらつしやいました。はなは、大連から露西亜へ、露西亜から亜米利加の方へ行つて見たいと云つてゐらつしやいました。ところで、今年は其の大連から浦潮の方まで行つて見ましたから、今度はのつけに亜米利加へ行つて、ずつと向うを巡廻して見たいと云つてゐらつしやいました。そして、一と廻り興行をしたら、あとに私達二人だけ残つて、私には向うの俳優学校へ入つて、二三年勉強したら好いだらうと云つてゐらつしやいましたが、それも悲しい、思ひ出になつてしまひました。此の頃先生は、西洋へ持つていらつしやる脚本を拵へる為に、種々材料を集めてゐらつしやいましたが、それも皆悲しい遺品になつてしまひました。

先生のお亡くなりになつたのは、五日の午前二時近くだつたと云ひますが、私は、そんなことはちつとも知らずに、其の時分は明治座で一心に舞台稽古をしてゐたのです。今其の事を考へますと、何とも云ひやうのない、情けない悲しい思ひがいたします。

私は家を出たのは、四日の正午頃でした。其の時分は、先生は特別に苦しい様子もありませんでした。ですから私は、無論それが最後にならうなどと云ふことは更に思ひ掛けませんでした。先生は其の時、「しつかり稽古をしてきてくれ」と云ふ意味のことをおつしやつて、私を励ましてくださいましたが、それが生涯忘れられない最後になつてしまひました。

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