ごりがん
本文約16,700字 ・ 読了時間 約34分
あらすじ(AIが作成しました)
「ごりがん」とは、駄々っ子に偏屈な性格を兼ね備えた方言で、願念寺の隆法という老僧を指す。この老僧の長男である天南は、自身の結婚式当日に姿を消し、周囲を困惑させる。老僧は病に倒れ、死期を悟りながらも、遠方の知人に鮒の雀焼きを所望するなど、その最期まで個性的な振る舞いを見せる。隆法の訃報が届いた後、知人はその人生を回想し、残された子や家族の様子と共に、独特の性格を持った老僧の最期を描く。
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一
先づごりがんといふ方言の説明からしなければならない。言葉の説明は、外國語でも日本語でも、まことに難儀なことで、其の言葉自身より外に、完全な説明はないのだ。言葉をもつて言葉を説明するといふほど愚かなことはない。言葉を説明するものは、言葉の發する音による以心傳心で、他のいろ/\の言葉を幾つ並べたとて、其の言葉を底の底まで透き通るほどに説明し得るものでない。しかし人間といふものがかうやつていろ/\の言葉を作り上げて、そいつを滑かに使つて來た根氣には驚く。根氣ではない自然だといふかも知れないが、自然の奧には根氣がある。如何に不完全な國語を有する人民でも、それで一通りの用が辨ずるまでに仕上げた根氣は大層なものだ。言語學といふ乾枯びたやうな學問の教ふるところは別として、たとへば日本語の柄杓といふ言葉を聞くと、それが如何にもあの液體を掬ふ長い柄の附いた器物のやうに思はれるし、箱と言へば直ぐにあの四角い容物を考へ出す。(圓いのもあるが)さういふ風に、柄杓と箱との名を取りかへて、「俺にはこれが柄杓で、これが箱ぢや」とごりがんを決め込んでも、世間には通用しない。それまでに言葉といふものゝ力を深く打ち込んだ根氣は大したものだ。どうせ人間の拵へた言葉と名稱とだもの、それをどツちへ取りかへたとて差支へはないのだが、大勢の人にそれを承知させるのが困難だ。柄杓が箱で、箱が柄杓で、火が水で、水が火であつても、一向差支へはないのだけれど、別に取りかへる必要もなければ、まア在り來りのまゝでやつて行かうといふことになる。
それでも、言葉や文字の中には長い間にちよい/\間違つて了つて、鰒を河豚だと思ふやうな人も少しは出來たりしたが、それをまた訛言だの、方言だのと、物識り顏に、ごりがんをきめ込むこともない。鰒だと言つても、河豚だと名付けても、肝心の貝や魚は一向何も知らないでゐる。――と、こんなことを言ふものもまた一種のごりがんだ。