TRENDIA CLASSIC

警察署長

田中貢太郎

1 / 9

ニコリフスクに恐ろしい殺戮の起った時分のことであった。そのニコリフスクから五六里離れた村に過激派のクラネクと云う警察署長がいた。

彼はある日事務室にいて己が某命をふくめて外へやった部下の帰って来るのを待っていた。それは浦塩から来て雑貨商を営んでいるローゼンと云う男の女のことを探らしにやったところであった。暖かな春の陽が硝子戸からさして睡いような日であった。彼はジンを飲みたくなったので傍にあったベルを鳴らした。そして、ちょっとの間待っていたが、靴の音もしなければ返事もしないので、今度はやけに強く押し鳴らした。

軽い小さな靴の音がした。部下のタスキンの兵隊靴にしてはちがった音だと思った。と、後の扉が開いて女の子が顔を出した。それはクラネクの女であった。

「お前か、タスキンはいないのか」

「タスキンは、薪を割らしているのよ」

「そうか、では、ジンを一杯コップへ入れて、持っておいで」

女の子は引込んで往った。クラネクは引込んで往く己の小供の漸く女になりかけた青い服に包まれた円っこい腰の肉の隆起に眼を注けた。そこには脊の暢んびりしたローゼンの女の影があった。彼は部下がもう帰りそうなものだと思った。白い馬に乗った女の姿がまた眼前に浮んだ。

はじめの扉が開いて女の子がコップへ酒を入れて持って来た。クラネクはすぐそれを手にして一口飲んだ。そして、無意識に狐のような小供の顔を見た。女の子はさっさと出て往った。クラネクはまたコップに口をつけた。

せかせかしていた心がやや沈まって来た。彼はコップをおいて椅子に凭れた。まかりちがえばローゼンの一家を鏖殺してもかまわないから、彼の女はどうしても己の有にしなくてはならんと思いだした。と、嫉妬の強い背の高い肩幅の広い細君の顔が見えて来る。嘗て部下の壮い細君と関係した際に狂人のようになった細君にこづき廻されたことが思い出された。そこで彼はローゼンの女を手に入れた際に、どうすれば細君に知れないで媾曳を続けることができるかと云うことを考えたが、それにはその女をニコリフスクの方へやっておいて、ニコリフスクの本部へ往く用事をこしらへて出かけて往けば好いと思いだした。

田中貢太郎の他の作品