TRENDIA CLASSIC

水魔

田中貢太郎

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暖かな宵の口であった。微赤い月の光が浅緑をつけたばかりの公孫樹の木立の間から漏れていた。浅草観音堂の裏手の林の中は人通がすくなかったが、池の傍の群集の雑沓は、活動写真の楽器の音をまじえて騒然たる響を伝えていた。

被官稲荷の傍の待合を出た一人の女は、浅草神社の背後を通って、観音堂の横手に往こうとして、右側の路ぶちに立った大きな公孫樹の処まで往くと、その幹の陰に隠れていたらしい中折帽を冠た壮い男が、ひらひらと蝙蝠のように出て来てその女と擦れ違った。と、その拍子に女はコートの右の袖に男の手が触ったように思った。で、鬼魅悪そうに体を左に反らしながら足早に歩いて往った。

壮い男の往った方には女の出た待合の側になった蕎麦屋の塀の角があった。月の光はその塀に打った「公園第五区」と書いた札のまわりを明るく照らしていた。

「山西じゃないか」と、横合から声をかけた者があった。壮い男は耳なれた声を聞いて足を止めた。鳥打帽を冠た小柄な男が立っていた。

「岩本か、どこへ往く」

「どこと云うこともない、この辺を歩いていたところだ、君は」

「俺か、俺は彼と逢う約束があって、やって来たが、すこし具合の悪いことが出来て、よして他へ往くところだ」

「そうじゃなかろう、投げ込みができなかったろう」

「どうして、子守を追っかけてる人なんかにゃ、想像はできないよ」

「よせよ、よく山の上のベンチの傍へ来る、老婆さんだろう」

「野釣りなんかじゃないよ」

「じゃ、造花屋か」

「そんな下等な者じゃないと云うに、まあ好い、これから倶楽部へ往ってビールでも飲みながら話そう」

二人は笑いながら伴れだって仁王門から出て、区役所のほうへ折れて往き、その傍にある小さなバーへ入った。六箇ばかり据えた食卓に十人ばかりの客が飛とびに向っていた。二人は左手の隅の食卓についてビールを注文すると、顔馴染の肥った給仕女が二つの洋盃を持って来た。

「話してもらおうかね、今の、おっそろしい広告の物品は何だね」と岩本は冷笑かすように云った。

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