TRENDIA CLASSIC

このたび大阪

古川緑波

1 / 4

五月上旬から、六月へかけて、梅田コマスタジアムで「道修町」出演のため、大阪に滞在すること、約一ヶ月。

大阪での僕のたのしみの一つは、おどり(生海老)を食うことである。酔後、冷たいすしの舌ざわりは、何とも言えない、殊に、おどりは、快適で、明朝の快便をさえ思わせるものがある。だから、大阪へ行ったら、おどりを、と、たのしみにしているわけ。

東京では、すし屋へ行っても、おどりを食わせる店は少いし、あっても活きが悪くて、大阪の如く、尻ッ尾が、ピチッピチッと動いたりしない。動いても、スローモーションで、グニャッグニャッと動く。

ところが、大阪のすし屋は、何うも生海老が早く売切れる。われわれ、夜の仕事が終って行くと、もう売切れです、と断わられる。

その断わり方が妙に生意気にきこえる。「相済みませんねえ、今夜はあいにく売切れましたんで――」というような、愛想のいい言葉は殆んど使わずに、どの店でも、きっと、おどりが食いたきゃあ、もっと早く来りゃあいいんだ、今頃来やがって、何を言っているんだというような感じで、「おまへんわ」位のことを、アッサリ言う。

「じゃあ、何時頃来りゃあいいんだ?」

ときくと、七八時迄に来て呉れなきゃあ売切れちまうと言う。馬鹿野郎、俺たちの商売、七八時に、すし食いに来られるわけがねえじゃねえか! と腹を立てる。

早く売切れるのが自慢のような口振りだ。然し、早く売切るってことは、仕込みがケチだってことを現わしているではないか、ちっとも自慢することはないんだ。

これは、ある一軒を指して言うんじゃない、戦後数カ年、僕は随分大阪のすし屋へ行っているが、何処へ行っても、この愛想なしと、売切れたのを自慢するような傾向がある。

古川緑波の他の作品