TRENDIA CLASSIC

古川ロッパ昭和日記

古川緑波

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前年記

昭和八年度は、活躍開始の記憶すべき年だった。一月七日から公園劇場で喜劇爆笑隊公演に特別出演し、之は一ヶ月にてポシャり、二月は一日より大阪吉本興行部の手で、京都新京極の中座といふ万才小屋と、富貴といふ寄席で声帯模写をやり、大阪へ廻って、南北の花月に出演、名古屋松竹座へ寄り、三月帰京、此の月一杯遊び、四月一日より常盤興行の手で、「笑の王国」創立、四月一杯のつもりの仕事が、好評満員で、五・六・七月と常盤座で打ち続け、僕無休で働いた。

八月の酷暑も松竹座に出演し、九月は公園劇場だったので休演、川口・東氏の手で東海道を、徳川夢声と共に旅行し、ムザンなる目にあひ、十月は再び「笑の王国」金龍館公演に加はり、十・十一・十二月と大入りを続けて、打ち通した。目下の状態は、「笑の王国」は、金龍館を本城として常打ちといふことになってゐる。そして、僕はその代表、座長といふことになってゐる。

「笑の王国」は、今年何うなるか、古川緑波は何うなるか、昭和九年こそ自重すべく、ます/\ハリ切るべき年である。

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昭和九年一月

一月一日(月曜)  昨暁明治神宮へ参拝。本日は午前七時起床、入浴し、雑煮を祝って、八時半自動車来り、雷門まで。浅草観音へ参拝。公園を一巡して金龍館へ来る。正月気分が今年程、稀薄だったのは初めてだ。仕事のせいが一ばんあるだらうが、世間も段々さうなって来るのではあるまいか。十時開幕が少しおくれて開く。「凸凹世界漫遊」ドッと受けない。初日にもさう思ったが、レヴィウ式のものを書くには、もっと準備が必要だ。スラ/\と運びすぎるし、ギャグも少かった。夕方大入つく。大分客足がいゝので三回半、即ち「凸凹」までに定る。楽屋へハイダシ来り、大いに憂鬱なり。ギャング気分横溢、館の用人棒とハイダシの喧嘩さわぎ等、これが浅草の正月か。

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